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日本史B 中国の歴史書 史料問題対策 その2

中国2

こんにちは!京都駅の予備校・塾といえば、武田塾京都駅前校です。

 

今回は前回に引き続き日本史が大得意な講師に聞いてみたシリーズ【中国の歴史書 史料問題対策その2】です(^^)/

 

日本史B 中国の歴史書 史料問題対策(後半)

前回は中国の歴史書(史料問題対策)の前半を解説しました。

【中国の歴史書 史料問題対策 その1】

 

今回はその後半です!

 

今回も高校日本史に出てくる中国の歴史書を全て網羅し、書き下しの本文抜粋とその現代語訳も作成しましたので、史料問題対策や区別の為にぜひ確認してください。

 

まず、先史時代の年代的な区分からおさらいしましょう。

「前回までのブログで年代区分は全て覚えたよ!」という人は飛ばして読んでください。

これを覚える際には数字だけでなく紀元か紀元かにも注意してくださいね。

旧石器時代 ~前1万4千年頃
縄文時代 前1万4千年頃~前4世紀頃
弥生時代 5世紀頃~4世紀頃
古墳時代 3世紀頃~7世紀頃

どちらの時代にも重なっている期間がありますが、これは先史時代なので仕方がありません。

例えば奈良時代と平安時代をはっきり区別する794年の平安京遷都のような事件によって先史時代が区分されているのではないからです。

 

次に、日本史Bで出てくる全ての中国の歴史書の順番をおさらいしましょう。

こちらも、前回までに全て覚えてしまった人は各歴史書のところまで読み飛ばしてくださいね。

日本史Bで暗記しなければならない中国の歴史文献は全部で6個です。(うち一つは中国の歴史書ではなく朝鮮半島の碑文です。)

まずは上記の時代区分とも照らし合わせつつ、それぞれのタイトルと該当年代を覚えることから始めましょう。

『漢書(かんじょ)』地理志(ちりし) 紀元1世紀頃:弥生時代の前期
『後漢書(ごかんじょ)』東夷伝(とういでん) 紀元1~2世紀頃:弥生時代の中~後期
『魏志(ぎし)』倭人伝(わじんでん) 3世紀頃:弥生時代の末期、邪馬台国の時代
好太王碑文 4世紀頃:古墳時代の初期、ヤマト政権の初期の時代
『宋書』倭国伝 5世紀頃:古墳時代の中期、ヤマト政権の倭の五王の時代
『隋書』倭国伝 7世紀頃:飛鳥時代の初期、推古天皇・聖徳太子の時代

※『隋書』倭国伝は「日出づる所の天子、日没する所の天子に書を致す」の出典として有名な、飛鳥時代の遣隋使に関する文献で、当然先史時代を扱う文献ではありませんが、区別の為にまとめておきました。

 

これらの歴史書は順番を覚える事が極めて重要です。

また、これらの似たようなタイトルの歴史書は、タイトルだけでなく書かれている内容まで区別して覚えなければ意味がありません。

しっかり時代と文献を対応させて覚えておきましょう。

 

さて、以下では中国の歴史書の書誌情報と日本史Bの用語を順番にまとめました。

史料問題などでも出題されそうな本文を抜粋し、その現代語訳も加えておきましたので、各文献の内容暗記に利用してください。

 

好太王(広開土王)碑文

こちらは唯一、中国の歴史書ではありません。

当時中国の東北部にあった高句麗という国が、313年に楽浪郡や帯方郡を滅ぼして朝鮮半島北部に勢力を拡大していたのですが、これが朝鮮半島南部の支配を巡って倭国と衝突するようになりました。

これは、その高句麗の王好太王(または広開土王)という人の業績をたたえる碑文です。

日本が戦前に朝鮮を併合していたことは皆さんよくご存じだと思いますが、この碑文はその頃日本陸軍によって挑戦で発掘された碑文なのです。

前回の最後に見た『魏志』倭人伝では3世紀の邪馬台国のことが記述されていましたが、続く4世紀には、中国の歴史書から倭国に関する記述がなくなります。

その間に発達を遂げたヤマト政権は、その4世紀の終わり頃に朝鮮半島へ攻め込んだとされるのですが、そのことを示す文献がこの碑文です。

しかし、当時朝鮮の併合を正当化したかったはずの日本軍が発見した碑文であることもあって、この碑文の信ぴょう性に疑問を唱える主張もあることを念頭に置いておきましょう。

書名 好太王(こうたいおう)(広開土王(こうかいどおう))碑文(ひぶん)
著者 不明(戦前に日本陸軍が発掘)
年代・時代 4世紀頃(古墳時代の初期、ヤマト政権の初期の時代)
本文(書き下し文) 「百残(ひゃくざん)・新羅は、旧(もと)より是れ属民にして、由来(ゆらい)朝貢す。而(しか)るに、倭、辛卯(しんぼう)年を以て、海を来り渡り、百残□□□羅を破り、以て臣民と為(な)す。……(中略)……倭寇潰敗(かいはい)し、斬殺無数なり。」
現代語訳 百済と新羅の人々は、元々(高句麗に)服属する人々であり、昔から(高句麗に)朝貢している。しかし、倭は、辛卯年(391年)以来、海を渡ってきて、百済と新羅を破り、(倭の)臣民とした。……(中略)……(最終的に)倭寇は(高句麗の軍勢に)壊滅的に敗北して、多数の者が斬り殺された。
用語
高句麗(こうくり) 中国北東部の国家。313年に楽浪郡などを占領し朝鮮半島北部に勢力を拡大した
百済(ひゃくさい/くだら) 朝鮮半島西南部の国家。馬韓を統一した
新羅(しんら/しらぎ) 朝鮮半島東南部の国家。辰韓を統一した
伽耶(かや)(加羅(から))(任那(みまな)) 朝鮮半島南部の地域。弁韓のあった地域。倭国に従属的な立場だったとの見方があるが、詳しくわかっていない
好太王(こうたいおう)(広開土王(こうかいどおう)) 高句麗の王。4世紀末から朝鮮半島に侵攻してきた倭軍と戦い、撃退したらしい
辛卯(しんぼう)年 西暦391年にあたる

 

『宋書』倭国伝

5世紀の日本のことが記されているのは『宋書』倭国伝です。

前回の最後に出てきた『魏志』倭人伝は中国の三国時代を扱った歴史書でしたね。

その三国時代を統一した晋という王朝は様々な反乱にあってすぐに弱体化してしまいました。

そうして中国は南北朝時代という、南半と北半を別々の王朝が治める分裂の時代に突入しました。

※日本の南北朝時代と同じ名前ですが、別の時代です。

その南朝の初代の王朝が宋というのですが、この歴史書はその宋について書かれたものです。

 ※日宋貿易の宋と同じ名前ですが、別の王朝です。

これに出てくる倭王の武という人は、雄略天皇とされていますが、彼は日本の古代史の色んな箇所で登場する人物です。

彼はこの『宋書』倭国伝に出てくるだけでなく、古墳からも彼を指すと思われる人名を記したものが出土するなど、古墳時代の日本の最重要人物です。

雄略天皇、倭王武、ワカタケル大王という彼の三つの呼び名を整理しておきましょう。

 

書名 『宋書(そうじょ)』倭国伝(わこくでん)
著者 沈約(ちんやく)
年代・時代 5世紀頃(古墳時代の中期、ヤマト政権の倭の五王の時代)
本文(書き下し文)① 「興(こう)死して弟武(ぶ)立ち、自ら使持節(しじせつ)都督(ととく)倭・百済・新羅・任那・加羅(から)・秦韓(しんかん)・慕韓(ぼかん)七国諸軍事(しちこくしょぐんじ)・安東大将軍(あんとうだいしょうぐん)・倭国王と称す。」
現代語訳① 興が死んで弟の武が即位し、(武は)自ら使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事・安東大将軍・倭国王と称した。
本文(書き下し文)② 「順帝(じゅんてい)の昇明(しょうめい)二年、使を遣(つかわ)して、上表して曰く『……(中略)……東は毛人(もうじん)を征すること、五十五国。西は衆夷(しゅうい)を服すること、六十六国。渡りて海北を平らぐること、九十五国。……(中略)……』と。」
現代語訳② 順帝の昇明二年(478年)に、(武は)使者を派遣して、次のように上表した。「……(中略)……(私、武の国(=倭国)は)東は毛人を55カ国征服し、西は衆夷を66カ国服属させ、渡海して海北(朝鮮半島のことか)を95カ国平定した。……(中略)……」
本文(書き下し文)② 「詔して、武を使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事(りっこくしょぐんじ)・安東大将軍・倭王に叙す。」
現代語訳② 順帝は詔書をくだして、倭王武を使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事・安東大将軍・倭王に叙任した。
用語
(中国の)南北朝(なんぼくちょう)時代(じだい) 晋の滅亡後の中国の時代。華北と江南に別々の王朝が興亡し、中国が統一されなかったことから
(南朝(なんちょう)の)宋(そう) 中国の南朝の最初の王朝。日宋貿易の宋とは時代が異なる全く別の国家
順帝(じゅんてい) (南朝の)宋の皇帝。倭王武の上表を受け、安東大将軍や倭王などの称号を与えた人物
倭(わ)の五王(ごおう) 5世紀に南朝の宋と通交した五人の倭王のこと
讃(さん) 倭の五王の一人目。仁徳か応神か履中天皇とされ、誰なのか特定できていない
珍(ちん) 倭の五王の二人目。反正か仁徳天皇とされ、誰なのか特定できていない
済(せい) 倭の五王の三人目。允恭天皇とされる
興(こう) 倭の五王の四人目。安康天皇とされる。済の子。武の兄
武(ぶ) 倭の五王の五人目。雄略天皇とされる。済の子。興の弟
允恭天皇(いんぎょうてんのう) 5世紀の天皇。倭の五王の済とされる
安康天皇(あんこうてんのう) 5世紀の天皇。倭の五王の興とされる。允恭天皇の子。雄略天皇の兄
雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)

5世紀の天皇。倭の五王の武とされる。允恭天皇の子。安康天皇の弟。

本名を大泊瀬幼武(おおはつせのわかたけ)といい、古墳出土の銘文記載のワカタケル大王と同一人物とされる

ワカタケル大王(だいおう)

雄略天皇のことか。九州や関東の古墳から出土した銘文にその名があり、5世紀のヤマト政権の影響力が地方まで及んでいたことを示している

稲荷山古墳(いなりやまこふん)

埼玉県の古墳。出土した鉄剣の銘文に「ワカタケル大王」の文字がある

江田船山古墳(えたふなやまこふん)

熊本県の古墳。出土した鉄刀の銘文に「ワカタケル大王」の文字がある

昇明(しょうめい)二年

西暦478年にあたる

倭王(わおう)武(ぶ)の上表文(じょうひょうぶん)

本文②の文章。倭王武は順帝にその支配領域の広さを語り、倭が高句麗と交戦中だったことを背景に、朝鮮半島での軍事的立場の承認を求めた

七国諸軍事(しちこくしょぐんじ)

倭王武が上表文で求めた官位の一つ。この七国には朝鮮半島にあった国名が多く登場するが、順帝に認められたのは六国諸軍事となり、百済の支配は認められなかった

 

『隋書』倭国伝

日本でほとんど文字がつかわれていなかった先史時代の歴史は、以上の中国の歴史書からある程度復元されてきました。

しかし、日本史Bにはもう一つだけ、中国の歴史書が登場します。

それがこの『隋書』倭国伝です。

これは飛鳥時代に、推古天皇の下で摂政をつとめた聖徳太子がおくった遣隋使に関する記述を残す歴史書です。

しかもこの事件は『日本書紀』という日本独自の歴史書にも記述されています。

したがって、今まで紹介してきた中国の歴史書とは利用目的が異なり、「日本側に史料が無いからつかわれる」文献なのではなく、「日本側の史料が抹消した事実を書いている(可能性のある)」文献だから登場するのです。

その抹消した事実とは第一回遣隋使です。

第一回遣隋使はその風俗の卑しさのため、隋の皇帝である文帝から改善するよう言われます。

このことを恥じたのか、第一回遣隋使は『日本書紀』には記述がありません。

『隋書』倭国伝に従って、第何回目の遣隋使はどんな役割で、誰が使者だったのか、それぞれ確認しておきましょう。

書名 『隋書』倭国伝
著者 魏徴(ぎちょう)ら
年代・時代 7世紀頃(飛鳥時代の初期、推古天皇・聖徳太子の時代)
本文(書き下し文)① 「開皇(かいこう)二十年、倭王、姓は阿毎(あめ)、字(あざな)は多利思北孤(たりしひこ)、阿輩鶏彌(おおきみ)と号す。遣使して闕(けつ)に詣(いた)る。」
現代語訳① 開皇二十年(600年)に、倭王の、姓をアメ、名をタリシヒコという者が、(自分の)称号をオオキミとした。(アメタリシヒコは)隋に使いを派遣し、文帝に謁見した。
本文(書き下し文)② 「大業(たいぎょう)三年、其の王多利思北孤、遣使して朝貢す。……(中略)……其の国書に曰く、『日出づる所の天子、日没する所の天子に書を致す。恙無(つつがな)きや云云(うんぬん)。』と。帝、之を覧(み)て悦(よろこ)ばず。」
現代語訳② 大業三年(607年)に、そのタリシヒコは、(また)使いを派遣して朝貢した。その国書は次のようにあった。「太陽の昇る国の天子が、太陽の沈む国の天子に国書をさしあげます。お元気ですか等々」煬帝はこれを見て不快になった。
本文(書き下し文)③ 「明年(みょうねん)、上、文林郎(ぶんりんろう)の裴清を遣して、倭国に使いせしむ。」
現代語訳③ (だが)翌年(608年)、煬帝は、文林郎の裴清(または裴世清)を派遣して、倭国への使者とした。
用語
隋(ずい) 中国の王朝。南北朝時代を終わらせ、中国を統一した
文帝(ぶんてい) 隋の皇帝。第一回遣隋使を受け、倭の風俗を聞き、これを改めるよう言った
開皇(かいこう)二十年 西暦600年にあたる
第一回遣隋使(けんずいし) 600年の遣隋使。本文①。『日本書紀』には記載がなく詳細不明だが、『隋書』倭国伝によれば、倭人の風俗の卑しさから文帝に改善を指示されたという
アメタリシヒコ 『隋書』中の倭王の名前。当時天皇に在位していたのは推古天皇だが、「~ヒコ」と男性名であることから聖徳太子や蘇我馬子を指しているとの説もある
推古天皇(すいこてんのう) 7世紀の天皇。聖徳太子の叔母で、初の女性天皇
聖徳太子(しょうとくたいし)(厩戸王(うまやとおう)) 推古天皇の摂政として第二回から第五回までの遣隋使の派遣を主導した人物
煬帝(ようだい) 隋の皇帝。文帝の子。第二回以降の遣隋使を受ける。第二回遣隋使では倭国の文書の無礼さに不快になるが、翌年倭国に答礼使を派遣した
大業(たいぎょう)三年 西暦607年にあたる
第二回遣隋使(けんずいし) 607年の遣隋使。本文②③。使者は小野妹子。倭(日本)の天皇と隋の皇帝を対等に扱う国書を持参して煬帝を不快にさせるが、隋に答礼使を派遣させることに成功する
小野妹子(おののいもこ) 第二回、第三回遣隋使の使者として隋へ渡った人物
裴清(はいせい)(裴世清(はいせいせい)) 第二回遣隋使への答礼使として来日した人物。隋での官職は文林郎
第三回遣隋使(けんずいし) 608年の遣隋使。使者は小野妹子。裴清(裴世清)を隋に送るために、多数の留学生・学問僧をともなって派遣された
留学生(るがくしょう)・学問僧(がくもんそう) 遣隋使や遣唐使に随伴して中国・朝鮮に渡った人物のうち、前者は学生、後者は仏教研究生(僧)
高向玄理(たかむこのげんり) 第三回遣隋使で中国に渡った留学生。大化の改新後には国博士(くにのはかせ)に就任した
旻(みん) 第三回遣隋使で中国に渡った学問僧。大化の改新後には国博士に就任した
南淵請安(みなぶちのしょうあん) 第三回遣隋使で中国に渡った学問僧。大化の改新に影響を与えた
第五回遣隋使(けんずいし) 614年の遣隋使。使者は犬上御田鍬。618年に隋が滅亡したため、最後の遣隋使となった
犬上御田鍬(いぬがみのみたすき) 第五回遣隋使の使者。舒明天皇(じょめいてんのう)時代の630年には第一回遣唐使(けんとうし)の使者も務めた

 

日中韓年代対応表

ところで、ここまで学習した皆さんの中に、中国や朝鮮半島の王朝や国家が多数でてきて混乱している人はいませんか?

年代 日本(倭) 中国 朝鮮半島
前1~2世紀 弥生時代 前漢前206-後8 楽浪郡前108-後313  
1世紀 後漢25-220
2世紀 三韓(馬韓・弁韓・辰韓)
3世紀 三国時代22-280 楽浪郡など 帯方郡204-313
4世紀 古墳時代 晋280-316,317-420 高句麗313-668

 

百済345-660

新羅356-935

伽耶 4c-562

5世紀 南北朝時代439-589
6世紀 隋589-618
7世紀 飛鳥時代592-710 唐618-907
8世紀 奈良時代710-794 渤海698-926 新羅
9世紀 平安時代794-1185
10世紀 五代十国時代907-960 高麗918-1392
11世紀 宋960-1279
12世紀
13世紀 鎌倉時代1185-1333
元1271-1368
14世紀
室町時代1336-1573 明1368-1644
15世紀 李氏朝鮮1392-1897
16世紀
安土桃山時代1573-1603
17世紀~ 江戸時代1603-1868

この表を用いて、中国国家の順番とその同時期の日本・朝鮮半島の情勢を復習しておきましょう。

これ以降の時代も中国や朝鮮の王朝・国家は全て日本史Bにも登場します。

この表を用いて予め覚えておくのが良いと思います。

 


 

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