塾生の声

【合格体験記!】英語偏差値35→70 学習院大学&東京薬科大学

サッカー小僧が夢に踏み出した!ビックリ満載の合格体験記

合格者②

英語の偏差値2倍!
現役合格したのに理転を決め浪人。
高校入試レベルの数学から始め、2年連続の逆転合格!

偏差値52~3の非進学校から現役で学習院大学文学部合格

進学せずに理転して1浪で東京薬科大学生命科学部へ進学

合格した大学と受験科目

学習院大学文学部(現役合格)入試科目英語、世界史、現代文・古文・漢文

東京薬科大学生命科学部(1浪して合格)入試科目英語、数ⅠA・数ⅡB、生物

K・M        
千葉県立松戸六実高校卒

武田塾南流山校での履修コース】 
個別管理特訓SS

サッカーに明け暮れた日々と勉強の始まり

辛うじて入学できた松戸六実高校

出身の松戸六実(千葉県立松戸六実高等学校)は、7対3か6対4ぐらいで女子の方が多い高校です。
偏差値は52~53の高校で、大学進学のために一般受験する人などほとんどいません。

その高校さえも、中学時代に受けた模擬試験では「受かる見込みなし」の評価しか取れなかったのですから、中学時代の偏差値がどの程度なのかは想像が付くでしょう。
当時、進路指導で沼南高柳高校への受験を担任に勧められたのを覚えています。

サッカーに夢中になっていて、中学時代はクラブチームに所属していました。
当然のように勉強する暇もなく、周りの人や家族も勉強じゃなくてサッカーで進学するものと思っていたようです。

でも、ずーっとサッカーをやっていたので、こんなにもガチで取り組むサッカーにも疑問を持ち始めていました。
高校受験が目の前に迫った中3の冬休みを迎えてから塾に通い始めて、辛うじて松戸六実高校に滑りこむことができたのです。

それでもサッカー部の部長を引き受けた

松戸六実ではサッカー部の部長をやっていました。推薦されたので引受けたのですが、みんなを統率しなければならない部長という立場がすごく嫌でした。

先輩たちを見ていると、すべてが部長中心に動いてしまうのですが、それがすごく嫌だったのです。
だから、みんなをまとめるというよりは、「それぞれの能力を活かしてください」「かしこまんなくていいよ」みたいな、そういうスタイルでやっていました。

僕が部長のときは掃除もボール拾いも、学年の区別なくみんなでやるようにしました。
後輩だから荷物運びをやらなきゃいけないといった考えがすごく嫌いだったのです。

そのこともあって、サッカー部の空気が変わり始めました。

ノーシードから千葉県のベスト16へ、3部に昇格

僕の代って結構サッカーの上手い子が集まっていました。
先輩後輩の上下関係が嫌いだった僕は、実戦練習や3年の試合などにも1年生を参加させました。
それまではどんなに上手くても、1年生は試合に出られなかったのです。

そのことも良かったのでしょうか、松戸六実サッカー部創設以来初めて、千葉県のベスト16に進出して、3部昇格も果たしました。
上手ければ1年生でも試合に出られるし、落ちちゃう3年生もいるのですが、みんなが頑張り出したからいいところまで行けたのだと思います。

そのような時期、サッカー部の部長ともなるとサボることもできません。
さらに次々とベスト16まで勝ち進んだものですから、勉強は後回しになってしまいます。

それでも大学進学を考え始めた僕は、高2が終わるころから武田塾南流山校に通い始めました。
武田塾に入った理由は、部活が忙しかったので自分のペースで勉強したかったからです。

GMARCHクラス以上の大学に入りたいと思った

僕の高校、松戸六実では大学進学のために一般受験する人などほとんどいません。
だから勉強をやっている人など見掛けないのですが、そんな周りの雰囲気に流されてしまう自分が嫌で、ここで区切りを付けようと勉強を始めたのです。
それまではサッカー部の部長をやっていて、忙しいことを言い訳にしていました。

さらにそのころ漠然とですが、オリエンタルランドというディズニーランドを運営する会社に入って、キャラクターだとか新しいアトラクションなどのプロデュースの仕事がしたいと思っていました。

オリエンタルランドは大手の企業なので、そこそこの学歴がなければ就職の可能性がありません。
そのためには、いい大学を目指すしかないと思ったのです。

勉強法を知ったら成績がぐんぐん上がった

偶然見かけた車内広告で受けた武田塾の無料受験相談
武田塾を知ったのは、通学に使っていた東武アーバンパークラインのドアステッカーです。

学校の授業やサッカー部の活動の合間を縫って勉強するには、参考書を使った自学自習しかありません。
この広告を見たとき、ここならば自分のペースでできそうだし、部活とも両立できるように思えたのです。

はじめて武田塾南流山校の無料受験相談を受けたとき、ここまで詳しく志望校合格までのルートや勉強法について教えてもらえるとは思っていませんでした。
そのときに教わった通りにやれば武田塾に入る必要もないくらい丁寧に説明してもらいました。

だから、そのまま武田塾に入らずに頑張ってもいいのですが、やはり僕には自分で勉強のペース管理をすることが難しいと思ったので入塾を決めたのです。
事実、武田塾で教わった勉強法と一週間ごとの確認テストと特訓で、自分でもビックリするくらい成績が上がり始めます。

高3の夏まで、サッカーと勉強の日々が続いた

高2のときはまだ勉強法も定着していなかったし、部活に専念していたので一週間ごとの確認テストでも合格と不合格を繰り返していましたし、部活のせいで確認テストと特訓を当日キャンセルすることもありました。
それでも徐々に武田塾の勉強法、忘却曲線を考えた4日進んで2日復習する勉強法や英単語の暗記法などが身に付いて行きます。
本格的に勉強を始めたのは高3になってからです。

サッカー部の部長も続けていたし部活も大変だったのですが、入試対策としては武田塾から出される毎週の宿題を確実にこなして、一週間後の確認テストに合格することだけを目指しました。

学校の授業もあるし部活もあるので、毎朝4時から6時までと、部活が終われば直ぐに武田塾の自習室に駆け付けて3時間ほど勉強しました。
部活のない土日などは、ほぼ半日は勉強です。

武田塾方式で面白いほど成績が上がった

毎週出される宿題さえ着実に終えれば、あとは武田塾の校舎長をはじめ講師の先生たちが志望校合格までのルートに沿って、僕の勉強のペースをしっかりと調整してくれます。

まず一週間分の宿題、参考書のどこからどこまでをやるかを示されます。それを武田塾の勉強法である4日進んで2日復習するというやり方で勉強して、一週間後には習熟度を見るための確認テストを受けます。
そして確認テストの結果に基づいて特訓と呼ばれる学習指導を受けるのです。

確認テストの合格点は80点以上です。それ以上の点を取らないと先へと進めません。
その確認テストですが、高3になってからは不合格はほとんどありません。
武田塾で幾度も教えられた忘却曲線を意識して復習するようになったからです。

着実に覚え、ルートに沿った毎週の宿題をやり切ることができれば志望校合格につながります。
一週間後の確認テストで合格点を取り、先へ先へと進めば志望校への合格が見えてくるのです。

高校入試でギリだった英語の偏差値が倍になった

その結果、偏差値も35ぐらいしかなくて苦手だった英語が、武田塾の勉強法によって200点満点で196点、偏差値35から70~71へと2倍以上になりました。
高校入試のときの英語は、まさにギリギリでした。
よくあの英語力で入学できたものだと思っていました。
その英語が得意科目に変わったのですから、自分でもビックリです。

暗記法の基本である英単語の覚え方を身に付けると英語の長文などでも、文法が分からなくても日本語訳の推測ができるようになります。

その英単語の暗記法ですが、『システム英単語』を1語1訳でいいので徹底的に覚えるのです。
そのときに忘却曲線を意識した復習の効果が表れます。
さらにこの暗記法が他の教科にも応用できるようになります。

父の急死で意欲減退、その一方で新たな目標ができた

元気だった父の急死ですべてが空しくなった

僕が中3のころに父の大腸がんが見つかりました。
それでも僕が勉強を始めた高3の春ごろまでは元気だったのですが、夏ごろに急変して8月19日に帰らぬ人となりました。

受験生にとって高3の夏は、入試の天王山といわれるぐらい大切な時期です。
そのようなときの父の容態変化と急死です。
一気に勉強する意欲がなくなってしまいました。

父が亡くなってから知ったのですが、抗がん剤ってめちゃくちゃ辛いのです。
でもそのような計り知れない辛さに耐えているときでも、僕と姉の前では一言も弱音を吐いたことがありません。
そのような父を凄いと思う反面、何も知らなかった自分が許せないような思いにもとらわれました。

すべてが空しくなり、武田塾にも行かなくなって、そのあと4か月間ぐらい、まったく勉強しなくなってしまいました。

「大学を受けてみれば・・・」

入試直前での勉強再開は、僕の行く末を心配した母の一言からでした。

父が亡くなった夏ごろまでは、GMARCH以上の大学を目指していたので、行くか行かないか分からないけど、学習院大学だけは受けてみようかと思ったのです。
春から夏まではずっと勉強していたので、一応受けておこうかって感じでした。

入試が2月中旬だったので、4か月間のブランクの後の一か月間ぐらいの勉強での挑戦です。

父の死で突き付けられた難病治療の現実

父が亡くなるまで僕は勉強に没頭していたし、父も春ごろはまだ元気だったので、僕は何も知らないで父の最後を迎えることになりました。

父が亡くなったあと、勉強をやらなくなっていたので、父が亡くなるまでにどういう治療を受けていたのか、担当していたお医者さんや母の話を聞いたり、お薬手帳などを見ることになります。

その結果、こんなに薬を飲んで、こんなに治療を受けても治らない病気があるという現実を知らされました。

家族など大切な人を失うことには計り知れない辛さがあります。
でも、このような病気のことを調べてみて、父は亡くなりましたが恵まれている方だということも知らされました。

僕の家は特別裕福ではないけれど、ごく普通の一般家庭。
それでも充分な治療を普通に受けられるし、日本って福利厚生がしっかりしているので、あまりお金がない人でも治療を受けられます。

世界に目を向けると、治療を受けられない人がいます。
それも病気の人のほとんどが、たぶんまともな治療が受けられない現実を知りました。

最初は何浪してもお医者さんを目指そうと思った

どうしたら病気で亡くなる身近な人の死を減らせるのだろうかと考えました。
だから一時期、何浪してでもいいからお医者さんになろうかなと思ったのです。
でも考えてみると、お医者さんも今ある治療法とお薬の中でしか対処することができないのです。

新たな道を開拓するには医学や治療の研究者になって、がんのような治療困難な病気や創薬について専門的に研究するしかないと思い始めたのです。

もちろん天才と呼ばれる人たちが何年かけても解明できなかったものを、僕に解明できるかというと、可能性はほぼゼロに等しいでしょう。
それでも僕が研究者になって、その解明に1ミリでも近づけば、研究者としての成功だと思います。
僕のたった1ミリ程度かもしれない努力のおかげで、僕みたいに辛い思いをする人が減ればと思うようになりました。

医療研究者への登竜門、東京薬科大学生命医科学科

合格した学習院大学には進学せずに、自分が行きたい大学を模索し始めたのです。

こうなれば偏差値が高いか低いかは問題ではありません。
自分のやりたいことができる大学なのかどうかが決め手です。
そうしたら日本で唯一、東京薬科大学の生命医科学科という医科学研究を専門的に行える学科に行き着きました。

もちろん東京薬科大学生命医科学科を出ただけでは研究者になれません。
研究者になるには最低でも大学院、修士課程修了までが必須です。

東京薬科大学生命医科学科卒業は最初の一歩に過ぎません。
さらにその後、難関大学の大学院へ進まなければならないのです。
そのための東京薬科大学からの大学院への進学率ですが、旧帝大や早慶などへの進学率がハンパじゃないのです。

今まで一切やっていなかった数学への挑戦

サッカー進学から文系一般入試、そして理系入試へ

サッカー少年だった僕を、周りの人たちはサッカーで大学まで行くだろうと思っていました。
それが一念発起してGMARCHクラスの学習院大学文学部への一般入試です。

そしてさらに父の死をきっかけに東京薬科大学生命医科学科志望に変更しました。

学習院大学の入試が2月中旬で、東京薬科大学生命医科学科を目指そうと思ったのが1月です。
文系志望で受けた学習院大学から理系への進路変更です。

当然、東京薬科大学の受験科目は数学(ⅠA、ⅡB)、生物、英語ですから、学習院大学受験の現文、古文、漢文、世界史、英語とは大きく異なります。

中学で教わる程度の数学もできなかった

文系クラスの数学の授業は数ⅠAとⅡまでなので数ⅡBはやりません。
それでなくとも中学の数学にさえ付いて行けなかった僕です。
一般入試で大学を目指そうと思ってからも、文系志望だったので数学の授業のときは内職に励んでいました。

まずは数学の基礎の一つひとつに対する解法を知ることから始めました。

なにしろ数学の参考書どころか教科書もまともに見たことがなかったのです。
だから当然、きついなんてもんじゃありません。
本当に数学の初歩の初歩さえも分からなかったのです。

数学をやるうえで当たり前のことがいろいろといあるのですが、それさえも知らなかったので、数学は高校を卒業してから初めて取り組んだ教科、それも中学で教わる程度のことから始めなければならない教科だったのです。

初歩から始め、ひたすら講師の先生に聞いた

そのときに使った参考書は『初めから始める数学(マセマ出版社)』です。
いまさら聞けないような基礎から丁寧に解説されていました。

さらに『基礎問題精講(旺文社)』という初歩的な参考書もあるのですが、それさえも分からないところが一杯あったので、納得がいくまで講師の先生に聞きました。
ひたすら聞いて、覚えなければならないことは覚えることの繰り返しです。覚えなければならない解法などは紙に書いて自分の部屋やトイレに貼りました。

あとは演習の繰り返しです。数学って、ともかく数をこなさないと身に付きません。
理系を目指す受験生の多くが早い時期から数学に取り組むのも、数学の勉強って積み重ねが大事なので、時間がかかるからだと思います。
でも僕は浪人してから始めたのです。
だからひたすら例題の数をこなすことしか方法がありません。

演習の繰り返しと入試対策

そのようなときに役に立った参考書が『合格る計算(文英堂)』です。
数学が苦手だった僕は、計算に時間がかかりすぎることが多かったので、いかに計算を速くするかといった手法が載っているこの参考書が役に立ちました。

数学ってちょっと計算ミスすると、あとの計算にも響いてしまいます。
心配性の僕は、ついつい何回もやってしまうことがあったので、確認方法についてもすごく学べたと思います。

そして数学に付き物のケアレスミスですが、「間違えたノート」を作って書くようにしていました。

使用参考書

東京薬科大学生命科学部総合型選抜試験合格

入試本番へ向けての取り組み

毎年10月下旬に行われる東京薬科大学生命科学部の総合型選抜試験の出願資格は「東京薬科大学での勉学を強く希望し生命科学を学ぶための基礎学力、探求心、創造性があるもの」となっています。学科試験は英語、数学、生物ですが、それ以外に面接試験と口頭試験(生物or化学)があります。

現役で学習院大学文学部に挑戦したときの試験科目とは、英語を除けば基礎以前の初歩の初歩からの挑戦でした。

高1の段階どころか中学時代にまで遡って勉強することが必要ですが、そのようなハンディがあるからといって入試は入試です。
甘えも許されなければ、ライバルたちも死に物狂いで頑張っているはずです。

学科試験については数学と同様に英語についても、やはり入学試験本番に向けた対策を考えた取り組みが欠かせません。
ケアレスミスといえば英語の長文問題などでも、限られた制限時間内に解く大変さがあります。
そのための対策として、制限時間を短めに設定して問題を解く速さの練習をしました。

論文準備と面接試験対策も欠かせない

論文は東京薬科大学生命科学部の志望理由について書けばいいので、自分の中では書くべき内容ははっきりしていました。
さらに文章を書くことも嫌いじゃなかったのですが、論文を書くということは未知の世界です。

取り敢えず論文の書き方の本を読んで、志望理由と夢を追うきっかけをまとめました。
また面接対策についても、高橋校舎長が休日返上で一日張り付いて、受け答えの練習に付き合ってくれました。

合格! でもすでに大学院への挑戦が始まっている

11月には合格発表だったので、一般入試の場合よりも早めの合格です。
僕自身も周りも、合格できてうれしいというよりはホッとしたって感じです。

特に僕の家族は、合格して嬉しいというよりは、ひとまず安堵したってところだと思います。

「おまえ、そんなに勉強する奴だったっけ?」というのが、家族も友人たちも、それこそ高校の先生たちも含めてみんなの感想ではないでしょうか。

最初はサッカーで進学すると思われていた僕が一般入試に挑戦して、現役で文系の学習院大学文学部合格したのに、その学習院大学文学部に入らずに理転して浪人、そして東京薬科大学生命科学部合格ですから、みんな呆気に取られています。

でもすでに次の挑戦が始まっています。
先にも書いたように、大学院まで進んでようやく医療の研究者になれるのです。
それも一流大学の大学院でなければ意味がありません。
東京薬科大学生命科学部に合格した瞬間、次への挑戦が始まります。

最初の一年ぐらいは一般教養の授業もあるようですが、実習系の授業も始まるそうです。
すでに今、『ニュートン』や『日経サイエンス』に紹介された生命科学的な分野から自分が気になった問題をピックアップして、それについての自主研究という課題が出ています。

武田塾で身に付けた勉強法とこれから

サッカーもやりながら非進学校から現役で学習院大学に受かり、さらに理転して浪人の末に東京薬科大学に受かったわけですから、勉強好きだと思われるかもしれませんが、僕は本当に本当に勉強が大嫌いだったのです。

武田塾、やはりほかの塾と凄く違うスタンスです。
最初は、ここなら自分のペースで勉強できると思って入ったのですが、勉強の仕方を教えてもらって、確認テストで勉強のペース管理をやってもらいました。

その結果、武田塾に入ったお陰で勉強法と勉強習慣を身に付けることができて、新しい知識が身に付くことの喜びを知ることができました。
つまり、勉強が楽しくなったんです!

もともと洋画とか洋楽が好きだったのですが、英語の勉強を始めてから聞き取れるようになって、おもしろさが分かってきました。
これからも新たな知識や技術を身に付けることができれば、難病の治療法を発見するという夢を叶えることに一歩一歩近づくことができるように思います。

我が家から東京薬科大学へは片道1時間半ぐらいかかります。その時間を僕は勉強時間と考えることにしています。
大学院を含めれば最低でも6年間ですが、人生の中で勉強に集中できる貴重な時期なので、武田塾で身に付けた勉強法と勉強習慣を継続し、勉強に集中したいと考えています。

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