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【独学の哲学】良い教師と悪い教師の違いについて

こんにちは!武田塾武蔵小杉校校舎長の三浦です。

 

今回は「良い教師と悪い教師の違いは何か」哲学的に考えてみようと思います。

そもそも何で僕が武田塾で働こうと思ったのか、そのきっかけにもなる思想の話をしながら、良い教育とは何なのか考えてみようと思います。

 

なぜ武田塾で働こうと思ったのか

僕が武田塾で働こうと思ったのは大学院の修士課程に在学しているときでした。そのときの自分は研究生活に行き詰まりスゴく辛い日々を過ごしていたのですが、環境から変えてどうにか建て直すために、アルバイトを変えようと思い立ちました。そのとき、何か自分の研究のモチベーションになるようなバイトをしようと思って塾講師の求人を探していたところ、たまたま武田塾を見つけたんです。

 

そのときは武田塾について何も知らなかったので「授業をしない」というコンセプトがとても面白そうだなと思って勝手な妄想を膨らませて応募したことを覚えています。自分の愛読する哲学者ジャック・ランシエールの思想に近いことが、ここでなら実践出来るんじゃないかと勝手に期待をしていたんです。

 

良い教師と悪い教師

彼の著作に『無知の教師』という本があります。その思想を僕なりに分かりやすく説明します。

 

世の中には悪い教師と良い教師がいる。悪い教師というのは自分の持っている知識を教えたがりで、生徒は先生に従わないと知が手に入らない。そういったマインドを植え付けます。その結果、生徒は、先生がいないと何も出来ない人になってしまう。けれど、良い教師というのは生徒が自分で本を読んだりして何かを学ぶことを支えて肯定してあげる。だから生徒は先生の知らないことでも何でも自分で学んで成長出来るようになる。そうして良い教師というのは生徒の知性を解放するのだ。そういう革命的な教育があるだろうとランシエールは語ります。

 

「俺の夏期講習に出ないと続きの分野は教えてあげない」

この本を読んで、いろいろ「ハッ」とさせられることがありました。

 

たとえば予備校で浪人していたとき、「俺の夏期講習に出ないと続きの分野は教えてあげない」ということを言う先生がいたんです。たしかに僕も含めてみんなその先生は凄いと思っていました。夏期講習を取らないと教えてくれないのは嫌だなと思いながらも、自分が知らない秘密のコツを教えてもらおうと、必死になって授業を受けていたことを記憶しています。そのときの自分は、何でもかんでも先生に教えてもらおうと思い、先生に依存した勉強をしていたんです。

 

(先生に悪意があるわけではありません。熱心な先生であるが故に先生がいないと何も出来ない人になってしまう危険性があるんです。教育って難しいですよね)。

 

ですが、大学に入って自分で本を読んで勉強するようになると、あのときのマインドは間違っていたなと思うんです。受験勉強においてその先生しか知らない秘密があるはずがありません。もしそんなものがあれば、それが客観的で公正な入試問題になるはずがない。実はちょっと勉強すれば誰でも知っていることを、偉そうに語る先生が受験業界にはたくさんいるだけなんです。そうすれば自分の講座を取ってくれるし、スゴイと思わせた分だけ評判が上がっていくわけですから。

 

大学は自学自習(研究)の場所

大学に入ってから出会った教師たち(教授の先生たち)は、今までの教師たちと全く違う存在でした。授業で配られる資料には、いつも何かしらの本からの引用がありました。時間が短い授業では断片的に思考が紹介されるだけで、興味がある人が自分で図書館でその本を借りたりして理解を深めていく。たまたまかもしれませんが、そんなスタイルの指導方法を取る先生が多かったと思います。

 

大学では子どものように手取り足取り面倒は見てもらえません。勉強したいから大学に来ているのだと大人扱いされます。厳しいようにも思いますが、逆に言えば自分の意見は大人として尊重されもする。真剣に話も聞いてくれました。だからこそ、自分で考えて自分が成長出来るようになっていった。それが大学での学びです。大学に入ってからの勉強は面白くて、すごく自由で、今まで疑問に思っていたことを何でも考え直すことが出来て、とても楽しい勉強でした。

 

とにもかくにも、大学の先生は生徒の知的好奇心を刺激して、生徒が自ら学ぶ力を高める教育(論文を書けるようにする指導)をしていると言って良いものです。良い教師のイメージは掴めますでしょうか?

 

対して、悪い教師というのは、自分が手取り足取り教えて自分の「知」に生徒を縛り付けるわけですから、会社の上司や社会の言う通りに行動出来る軍隊を作るような教育と言えるかもしれません。これを覚えなさいとただ指示を出し、自らの権威によって注意を引きつけて、生徒の知的好奇心は無駄なものだと抑圧していく教育です。

 

優等生が嫌いだった高校生時代

少し話はそれますが、自分は高校生時代、公立の進学校に進学して、優等生たちに馴染めず気持ち悪さを感じ、不登校気味になっていました。やっぱり真面目に授業を聞いている人たちが受け入れられなかったというか、そのとき何で勉強しなければいけないのか自分で納得も出来ないまま勉強をやらされるのが気持ち悪かったですし、そんなことを考えないで盲目的に勉強している人たちをカッコいいとも思えなかった。

 

そんな感じだから、浪人はしちゃったんですけど、自分なりに納得をしてから勉強はちゃんとしました。なので自分は、最初からうまくいっていたわけではなくて、何とか大学生にはギリギリなれたような人です。受験の世界には、気持ち悪くて、納得のいかない理不尽で嫌なことがたくさんありますよね。だけど、そういう違和感をちゃんと感じられている人の方が、大人になってからは、自分で考えて自分で勉強して自分で行動出来る人になる才能を持っていると思います。

 

武田塾でも大人の勉強方法を指導出来るんじゃないか

話を戻しましょう。勉強に対する価値観に大きな変化があったからこそ、ランシエールの哲学を読んだとき、大学に入ってからの学びがとても解放的だった理由が分かった気がして凄く感動したんです。

 

こういう哲学に感化されていた自分だったので、武田塾の「授業をしない」というコンセプトを見たときに、もしかしたら大学以降の大人の勉強方法を指導出来る場所にすることが出来るのでは無いか、そういう期待を抱いてしまうのは必然的なことでした。

 

当然、受験勉強の内容に関しても、きちんと調べ方さえ知っていれば、どんどん自分で学びを深めていくことが出来ます。ひとつの参考書に書いてあるかどうかではなくて、自分で考えて調べ上手になることの方が大事なんです。だから、そうした大人の勉強方法を指導することは、十分に可能だと思いましたし、その方が絶対に成績が上がるので、最強の塾を作れるという自信もありました。ちなみに武田塾の卒業生は、自学自習が出来るような子たちなので、卒業後もあまり勉強では困らないようです。

 

(補足1)学びの共同体

そんな感じで、ランシエールの議論をもとに良い教師と悪い教師の違いについてお話ししてきたのですが、少し補足を加えておきます。

 

まず、教師は本当にいるのか、という問題です。自学自習なのだから、教師はいらないと思うことは当然あります。ですが、生徒の欲望を学ぶべき素材に結び付ける仲介者として、やはり教師の役割は大きいと思います。たしかに自学自習をするだけなら、教師は必要では無いかもしれませんが、ひとが何かを学ぼうとするとき他者の承認が必要な場合は多いと思います。人間の欲望や価値というものは、自分だけでどうにか出来るものではありません。ひとは集団のなかで生きているので、他者と学びを分かち合うことはどうしても必要だと思うのです。そうでなければ、学ぶ意味を失ってしまう人が多くなると思います。

 

おそらくですが、学校に通うことや競うべき友達がいることも受験のモチベーションに重要な意味を持っているのと思います。意味も無いカタチだけの議論をするグループワークは教育改革の失敗例ですが、学びの共同体を作るということは、案外重要なことです。だからこそ、校舎運営でも担当講師に限らないチームワークで生徒との信頼関係を作っていくことが重要だなと日々感じています。

 

(補足2)本当に良い授業は学び方を指導する

もうひとつは、授業が本当に必要なのかどうか、という問題です。僕の考えでは、授業がいるかいらないかを問う前に、良い教師と悪い教師がいるように、良い授業と悪い授業があることを問題にするべきだと思っています。先ほどは予備校の悪い教師の例を出してしまいましたが、良い教師も実はいましたし、良い授業もたくさんありました。たしかにほとんどの授業は参考書に書いてある内容をただ偉そうに読み上げるだけのつまらないもので、時間も無駄なものでしたが、本当に良い授業はその知識をどのように身に付けるか、勉強方法が分かるように指導してくれていたと思います。

 

たとえば、予備校時代に一番お世話になり、かつ信頼していた数学の先生が、「数学の授業は誰のものを受けても同じです、数学の内容が教える人によって変わるならそれは学問じゃ無いからです」と言っていました。まずこの一言で信頼が置けます。しかも「だから、自分の夏期講習は取る必要は無いので復習してください」とまで言い切るのです。スゴいですよね。

 

ですが、その先生は同時に「数学は言語なのだ」ということを、苦手な人にも分かるやり方で繰り返し示してくれました。そして常に問題文をどのように読むのか、という視点で授業をしてくれたので、自ら問題を解いて練習するための土台がそこで身に付けられたのです。おかげで、自分が「数学は問題を解くパズルだ」と勘違いしていたところから抜け出して、「論証の筋道」である数学への理解を深めることが出来たように思います。

 

浪人の1年間でベクトルの一番基礎の内積というものが一切分からなかった偏差値35くらいのところから、東大や京大の問題を楽しく解ける偏差値70くらいのレベルまで勉強が進んだのはこの先生のおかげです。思えばその先生は、自分の権威ではなく数学の権威を語ることで、数学そのものを学ばせてくれようとしてくれたのであって、良い教師に違いなかったのです。

 

そういった意味で、たとえ予備校の授業を受けていた場合でも一番大事だったのは、どういうスタイルで自分が勉強するべきかを先生から盗むことにあったと自分は思っています。だからこそ、そのような部分を今度は教師として指導することは武田塾でも十分に行うことが出来ますし、むしろ武田塾での方が徹底的に行えるのではないかと、今は確信を持っています。

 

まとめ

今回は、少し哲学的に良い教師と悪い教師の違いについて考えてみました。今後も、受験に役に立つことだけではなくて、受験の世界を一歩引いて考え直すことが出来るような、それゆえにもっと頑張れるような記事も書いていけたら良いなと思っているのでよろしくお願いします。

 

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