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【奇跡を起こすにも日々の努力】スポーツと勉強における「奇跡」 【上越 塾 個別指導 大学受験】

奇跡を起こすにも 日々の努力

こんにちは、講師の町です。

昨日と打って変わって今日は一気に深めの秋の気温に包まれる、新潟県上越市です。(10月5日に書きました)

昨日の日中は25度を超える夏日でしたが、昨日の夜からそのまま気温が下がり、日付が変わった頃が1番気温が高かった、そんな、季節の境目でした。

ところで、私、野球が好きなんですよ。(知らん)

特に昔はプロ野球が好きで、学生の頃はよく球場に通ったものです。

そして、プロ野球ファンとしてはこの季節、とても思い入れのある季節なんです。

9月の終わりから10月の初め頃といえば、春に開幕したプロ野球は長いペナントレースを経てリーグ優勝が決まる時期。

余談ですが、私がプロ野球を観始めた頃はまだクライマックスシリーズがなく、リーグ優勝した球団がそのまま日本シリーズへ進出するという制度でした。

そもそもクライマックスシリーズ(プレーオフ)というのはメジャーリーグのように球団数が多い場合に盛り上がりますが、同一リーグに6チームしかない日本のプロ野球では、ただの興行収入狙いにしか思えないのであまり楽しめないですね。

半年間のペナントレースはなんだったのか、と思ってしまいます。

 

さて、プロ野球のリーグ優勝といえば劇的なシーンがいくつもありました。

1990年、私が生まれた年のセリーグは史上最速の9月8日に巨人が決めました。1988年7月の札幌での試合、外野守備での味方選手との交錯により靭帯断裂という大怪我を負うも奇跡の復活を果たした吉村禎章選手の劇的なサヨナラホームランで優勝が決まったのです。

この時の相手投手はヤクルトスワローズの川崎憲次郎投手でしたが、奇しくも吉村選手が上記の怪我から復帰を果たした1989年9月2日に対戦した投手も川崎憲次郎投手でした。

この試合は私はリアルタイムではもちろん知らないわけですが、ここからは私がプロ野球を観始めた頃の試合です。

2000年9月24日、優勝に王手をかけた巨人は中日相手に0−4と劣勢で迎えた9回裏、満塁のチャンスで江藤智選手が抑えのギャラード投手から同点の満塁ホームランを打ちました。今日はもうないだろうと、多くの巨人ファンは翌日以降に気持ちを切り替えていたでしょう。そんな中での同点満塁ホームラン。球場は大いにざわつきました。

そしてそんなざわつきがおさまらないなか、続く二岡智宏選手が持ち味の右中間方向へ流すサヨナラホームランを放ち優勝を決めました。20世紀最後のリーグ優勝を劇的な形で決めた。監督の長嶋茂雄さんが引き寄せたのかもしれませんね。

私は巨人ファンでしたので、巨人関係の試合が多いのですが、2007年9月26日、これは優勝を決めた試合ではないのですが、中日との直接対決で、この試合に勝ったチームが優勝に大きく近づくという試合でした。

中日は初回に4点を取り巨人は序盤劣勢でしたが、李承燁選手のホームランなどで5回に同点に追いつくと、続く6回裏、伏兵・脇谷亮太選手が朝倉健太投手から勝ち越しの2ランホームランを放ちました。

ホームランバッターではない脇谷選手のホームランがこんな場面で出るのか!私は画面越しに大興奮でした。

「脇谷亮太大殊勲!!限りなきお〜きなガッツポーズ!!」という河村亮アナウンサー(今年若くしてお亡くなりになりました・・・)の実況を今も覚えています。書いていてちょっと涙が出てきました(泣)

また、2009年11月5日、これは巨人と日本ハムの日本シリーズなんですが、上京した大学1年生の私、なんと現地で観戦していました。0−1で迎えた8回に代打・大道典嘉選手が同点タイムリーを放ったのですが、続く9回表に日ハムの高橋信二選手に勝ち越しホームランを許し1−2。

試合の流れ的に非常にマズいと巨人ファンの誰もが思った9回裏、日ハム抑えの武田久投手の初球でした。

この日ノーヒットだった亀井義行選手がライトへ同点ソロホームランを放ったのです。球場のボルテージはまた上がり始めました。私も友人とハイタッチして、これは何かが起きるぞと、そんなムードが球場全体を包みました。

そして続く谷佳知選手がフライに倒れ、打席に向かうはサヨナラ男・阿部慎之助選手(現ヘッドコーチ)。巨人でサヨナラといえば阿部慎之助、ファンの誰もが一発を期待しました。しかし相手はパリーグ王者日本ハムの守護神・武田久投手、そうは問屋がおろさん・・・打ったーーーーーーーーーーーーー!!!!

2球目でした。ライトスタンドに弾丸ライナーのホームラン。この試合で日本一になったわけではありませんが、日本一に王手をかけた状態で次の6戦目は日ハムの本拠地・札幌ドームへ乗り込むという状況でした。ここで負けると日本一は絶望的という状況の中で何とか踏ん張った、そういう試合でした。価値ある1勝。しかも守護神・武田久投手から2本もこんな大事な試合で打つのかと。奇しくもホームランを打った亀井選手と阿部選手はいずれも中央大学出身。この日のヒーローインタビューで亀井選手は開口一番「中央大学万歳」と球場に笑いを届けました、さすが関西人です(笑)

では巨人を離れましょう。

2005年9月7日、優勝争いをしていた阪神と中日がナゴヤドームで激突、この三連戦を取った方が優勝に大きく近づく、そんな試合。2−1で迎えた9回表、関本賢太郎(当時:健太郎)選手のヒットでランナーが1人生還、2人目もホームを狙いましたが走者の中村豊選手はタッチアウト。

でも際どいタイミングでした。これが伏線になります。

続く9回裏、3−1と2点リード、このまま抑えれば試合終了で阪神の勝利、というところで、抑えの久保田智之投手はノーアウト2、3塁のピンチを招きます。

そして谷繁元信選手のセカンドへの当たりを関本選手がファーストではなくホームへ送球も、走者アレックス選手はセーフ。まさかの野選(フィルダースチョイス)になりました。3−2。先程の判定に続きまたしても際どいプレーで中日有利の判定。

平田勝男コーチとともに審判へ詰め寄る岡田彰布監督の怒りは頂点に達し、ベンチに選手を引き上げさせ抗議(危うく没収試合になるところでした。今は抗議時間の制限がルールになったのでこういったシーンはもう見ることができないでしょうけど)をしました。

最終的には球団代表の説得もあり試合は再開されました。そして9回裏にもう1点が入り同点とされました。しかもその後、センターへ飛んだ打球を名手・赤星憲広選手がまさかのエラー。しかし、先程悔しい思いをしたライト・中村豊選手が決死のカバーでランナーをホームへ返さず、サヨナラは免れます。

また1アウト2、3塁。敬遠で満塁にした後、久保田投手が粘り2者連続三振

そして同点のまま迎えた延長11回裏、中村豊選手がレフトポール際へ決勝ソロホームランを放ち、そのまま試合に勝利し死闘を制しました。中村選手はこの日のホームランがこのシーズン1本目のホームランでした。

 

そして最後に、プロ野球ファンなら誰もが知るであろう奇跡の優勝を決めた試合が2001年9月26日の大阪近鉄バファローズ(現オリックスバファローズ)ーオリックスブルーウェーブでしょう。

近鉄は1989年以来12年ぶりのリーグ優勝目前でしたが西武・ダイエーと三つ巴のパリーグ。この日はオリックスとの試合でしたが、8回を終わって2−5と3点ビハインド。この日の優勝はないかな〜という雰囲気が球場に漂い始めていました。

オリックスは抑えの大久保勝信投手。9回表、先頭の吉岡雄二選手がレフト前ヒットを放ちました。この吉岡選手は帝京高校出身、そう、お盆とお正月に放送されるとんねるずの「リアル野球盤企画」で石橋チームに参加されていることでも有名ですね。そして続く川口憲史選手がツーベースを放ちノーアウト2、3塁。

この時実況の楠淳生アナウンサーは「今年の近鉄何かが起こる!」と言いました。

続く益田選手とは勝負しましたが、フォアボールでノーアウト満塁。そして代打・北川博敏選手がコールされます。

北川選手は阪神からこの年移籍してきた選手で、阪神ではなかなか活躍の機会がありませんでしたが、移籍後は主に代打で結果を残し、2日前にはあの西武・松坂大輔投手からホームランを放つなどすでに切り札的存在になっていました。

そんな北川選手に大久保投手が投じた、カウント2ストライク1ボールからの4球目、振り抜いた打球は左中間スタンドへ、代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン。

「左中間へ行ったぞー!行ったぞー!!行ったぞー!!!」に続け、楠淳生アナウンサーの「今年の近鉄何かが起こった!何と!逆転!サヨナラ!満塁!ホームラーーン!!!代打北川!これ以上の出来事はなーい大阪ドーム!!!!帽子を投げ捨てた北川!中村(紀洋)走った!!北川を出迎えた!!しっかりと踏めよ!ちゃんと踏めよ!ホームイーーーーーン!!!」はテレビ史にも語り継がれる名実況だと今でも思います。これを聞くだけで自然と涙が溢れる、これを書きながら今も(泣)

 

この後北川選手の応援歌の歌詞に「奇跡を呼び込む男」というフレーズが入りました。

 

さて、前置きが史上最長クラスに長くなってしまいましたが、野球の話をして終わりではありません。(他にも2008年10月2日とか、1994年10月8日とか、1992年10月17日とか、話し出すと止まらないのですが、違う方向に行ってしまうので、この辺りで)

スポーツ名場面ではこのように奇跡的なシーンが取り上げられがちですし、そうしたシーンはファンを魅了します

こうしたスポーツ名場面における奇跡というのは、選手の日々の練習の成果により、一定以上の技術を身につけた上で起きるものです。実はこの点ではスポーツと、勉強すなわち学問試験における奇跡は同じなのです。

高倍率の大学学部はもちろん、2倍を超える倍率であれば、試験本番で実力を出し切って、周りの受験生に差をつけて合格する、これだけで奇跡なんですよ。そしてその奇跡は、日々の勉強の成果により、試験問題における変な選択肢を一つ一つ消していき、消去法をうまく使って正解を導くことで起こせるわけですが、一定以上の基本的な知識がないと選択肢も絞っていけません。難関大の歴史科目の選択肢で、たまに「誰これ!」という名前があったりします。基本知識が曖昧だと、こういうダミーを見抜けなかったりします。また、実はそういった問題は悪問と言われがちですが、むしろ差がつく良問だったりします。悪問というのは、選択肢を絞っても基本知識だけでは解けない問題や、誰も知らないような用語や人物名を書かせる問題をいうのであって、一つの選択肢だけが知らないような用語や人名であったとしても、他の選択肢が知ってる用語や人名であれば消去法から正解を導ける、こういう問題は良問です。この良問で正解を導くのは、日々の緻密な学習の積み重ねの賜物なのです。その意味で、地道な積み重ねの上に奇跡は成り立っていると言えるでしょう。

しかし、学問試験における奇跡は一つ一つの正解の積み重ねで起きる点でスポーツと同じと言いましたが、スポーツにおける奇跡との明確な違いもあります。

それはスポーツにおける正解すなわち勝利へ導く方法は複数存在しますが、学問試験における正解は論文試験などを除けば基本的に一つしかないということです。例えば、野球において、試合を決める一打を打つためには、バットの出し方、打席の立つ位置、タイミングの取り方など、打者自身の様々な要素にも依存するほか、投手の癖、捕手の配球、守備隊形、など相手方の諸要素にも結果は依存します。それらが重なり合って、ほんのちょっとバットの芯を外せば守備側の勝利だし、芯またはバットの少し上で捉えていい角度で打球を上げることができれば打者の勝利です。その一瞬の動作の違いにより結果が異なる、その意味でスポーツにおける奇跡は正真正銘の奇跡と言えるでしょう。スポーツにおける奇跡は瞬間的な状況の集積なのです。

他方、学問試験における奇跡はそうはいきません。そもそも試験に合格するためには何十問も問題があり、そのうち8割を取らないと合格できません。3割打てば一流と言われる野球の世界とは違います。試験の構成は、概ね、受験生の8割が解ける問題、5割以上が解ける問題、2〜3割しか解けない問題、1割も解けない問題に分類されます。そして、勝負の別れ目は受験生の8割及び5割以上が正解する問題を完璧に得点し、それらを押さえた上で受験生の2〜3割しか解けない問題をいかに攻略するかです。

したがって、前2者のような問題を解いている間は合格における奇跡は起きようがないのです。学問試験における奇跡というのは、上記受験生の2〜3割しか解けないような問題で最後の2択で正否に迷い、振り絞って出した答えが正解で、その結果合格をギリギリ勝ち取った!という場合を言います。その意味では、学問試験における奇跡は継続的な積み重ねの上にしか成り立たない、積み上げ式の奇跡なのです。瞬間的な状況の集積だけでは起きようがありません。

よく「夢中で1、2の3でバット振ったらたまたまいいところへ飛んだ」というようなインタビューを聞きます。このような奇跡はスポーツでしか起こり得ないのです。

もしかしたら、たまたま鉛筆を転がして選んだ選択肢が正解だったということがあるかもしれません。それが上でいう、「受験生の2〜3割しか解けないような問題で最後の2択で正否に迷い、振り絞って出した答え」であるならば奇跡と呼べるかもしれませんが、そもそもそんな奇跡は何問も起こりません。その意味ではスポーツにおける奇跡と学問試験における奇跡は異質なものと言えます。

もっとも、スポーツにおける奇跡を起こす人も、学問試験における奇跡を起こす人も、両者の奇跡は緻密な訓練の上に成り立っていることは言うまでもありません。前者は筋トレをして、走り込んで、バッティング練習をして、相手を観察して、配球などデータ分析をして、一定以上の身体能力と頭脳を持ち合わせていることが前提ですし、後者も基礎的な知識を蓄え、問題演習で応用力を磨き、応用知識を蓄え、相応の受験校の入試問題に一定以上に対応できる学力があることが前提となります。

かく言う私も合格した2校に関して手応えがわからず、どうして合格したのか今でも謎のままです(合格直後に成績開示をすればよかったのですが・・・)ただ言えることは、あの高校3年生の1年間は本当によく勉強したと言うことです。

得意のはずの英語も夏まで伸び悩みました。センター本番レベル模試で160点台が叩き出せなかった。でも夏の終わりの模試でついに160に乗せることができ、その頃から日本史も80を切らなくなりました。最終模試では英語192、日本史90まで持っていけるくらいには基礎学力は磨き切っていました。2校、特にいきたかった早稲田の合格はその積み重ねの上に起きた奇跡だったかもしれません。

もう10月です。基礎学力がまだ不安定な方は早急にかつ緻密にきっちりと足元を固めてください

そして基礎学力が固まってきた方は、これからは抜け落ちている知識を補充していく時期です。

どれだけ完璧にしたと思っていても人間の頭はいい加減です、記憶はポロポロと抜け落ちていきます。

なので、日々基礎知識の確認を行い、抜け落ちているところは復習して、穴を埋めていってください。

その積み重ねが、あなたに奇跡を起こすかもしれません。

 

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