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本記事は
【宅浪の現実②】1年間の宅浪を経て早稲田の人間科学部に合格した話
の続きとなっています!
まだ②をご覧になっていない方は、是非ご覧になってから本記事も読んでみて下さい!
それではどうぞ!
現役時の様子
秋〜冬
結論から言うと、全然勉強しませんでした。ほぼ記憶もありません。いったい何をしていたんだろうか。ただ、夏休みと打って変わって勉強できなくなった理由は2つあると考えています。
1つが、「調子に乗った」ことです。
主に9~10月頃、夏休みの勉強の結果が良すぎて調子に乗っていました。1か月で英語の成績が跳ね上がったので、単純に考えて2ヶ月あれば残り2科目も跳ね上げられると思ってしまいました。油断です。
また、模試と早稲田の問題は全然違うことにハッキリと気づいていませんでした。なんとなく「違うんでしょ?」くらいでした。早稲田合格のために必要な知識量が全く分かっていませんでした。
もう1つが、「無理だと思った」ことです。
11月頃以降、ようやく早稲田の問題を解いてみるのですが、歯が立ちません。ここで察します。「あぁ、無理なんだ。間に合わない。」と。
英語はセンター(共テ)8~9割レベルです。早稲田の英語を読んで解けるレベルではないです。知らない単語や文法だらけです。
国語は何もやっていません。現代文は元から得意な自覚があったので、手も足も出ないというレベルではありませんでしたが、古文と漢文が終わっています。全く読めません。
日本史もほぼ無理です。早稲田の日本史で求められる知識量をなめていました。分からな過ぎて日本史が一番絶望したかもしれません。
一応、内職や放課後の居残り、図書館等の施設利用をしながら勉強はしていましたが、全然身が入りませんでした。受験が近づくほど身が入らなくなりました。
冬、学校の授業が終わると速攻で帰って、冬の早く沈む夕日と罪悪感と共に寝た日があります。現実逃避をしていました。
普通は「やばい。間に合わない。」と思ったら、志望校を下げるなり、勉強のために睡眠時間を削るなりすると思います。しかし、筆者はどちらもしません(できません)でした。その背景には「早稲田なら浪人しても良い」という考えがありました。
筆者は 阪大Youtuberのはなお や 早大Youtuberのバンカラジオ などの動画を見て憧れ、難関大学である早稲田に挑戦することを決めた人間でもあります。
難関大学であれば浪人は普通です。はなおもバンカラジオも、武田塾の山火サンも浪人の末、合格しています。
まして、筆者の高校はレベルが低いです。そんな高校から現役で早稲田に行ける方が難しいのです。
それに、「なんか浪人って楽しそう」と思いました。
「1年間丸々勉強して受からないわけがない」「そんなに大変でもない」「1年終えれば、早稲田や!」などの考えで溢れていました。
こんな考えを持ってしまった人間に勉強はできません。このまま受験を迎えます。
受験
「どうせ早稲田には受かるわけがない。MARCHはわからんけど、興味はない。受験料ももったいないし、ワンチャンかけて1つだけ受けよう。」
ということで、早稲田の中でスポ科に次いで入りやすいと言われている 早稲田大学 人間科学部 健康福祉科学科 だけを受験しました。
(スポ科は[英/国/センター日本史]か[英/社/小論文]のような形式だった気がするので、センター日本史が壊滅してて小論文は全く知らない筆者が受けることはありませんでした。)
ちなみに、センター試験の結果は覚えていません。記録もとっていません。カスみたいな成績だったことは間違い無いと思います。そもそも早稲田以外に行く気はなかったので、センターはどうでも良かったです。
受験前日、クラスメイトの1人と会っていました。なんで会ったのかは覚えていませんが、寒い冬の夜、2人で雑談をしていました。「まあほぼ無理だけど、詰め込めるだけ詰め込もう」ということで、帰ってから寝ずに勉強をして、早稲田に向かいました。
筆者は小学校は徒歩、中学校と高校は自転車で通学していました。部活の遠征等もないため、電車経験がほとんどありません。そんな中、早稲田への1発勝負を仕掛け、大都会東京に向かいます。朝は満員電車でした。緊張もしていました。寝ていません。なにより、乗り物酔いしやすいタイプです。
電車の中でめちゃくちゃ体調が悪くなりました。今振り返っても、あの時が人生で一番きつかった瞬間です。1発勝負なので帰るわけにもいかず、意識が朦朧とした中で早稲田に何とか到着しました。ちょっと遅刻しました。
試験中もずっと体調が悪かったため、2時間目からは薬をもらって救護室で受けることになりました。政治経済学部棟でした。綺麗で格好良かったです。試験の記憶はほぼありません。不合格を確信しながら帰ります。帰りの電車もきつかったです。帰ってからは速攻で寝ました。家族も状況は知っていたので、残念だったと思います。申し訳ない。
「(でもまあ、どうせ落ちてたし浪人するつもりだったからいっか。)zzZ...」
合格発表~卒業
卒業までの短い期間に続々と友人たちの合格発表が出ます。学校の中では優秀なクラスでしたが、MARCHに受かった人は少なく、ほとんどが日東駒専あたりでした。
ちなみにこの頃、筆者は全然ブルーな気持ちではないです。筆者がどんな人間でどんな成績でどんな受験をしたかは多くの人が知っていましたし、筆者自身もすでに来年を見据えていました。ただただ、みんなの合格を期待していまいした。
(一応、高校最後の定期テストの結果。英国では学年/クラス2位だった。
しかし、受験には関係ない...。)
そんな中、早稲田受験組の結果が出ました。1人が商学部に、1人がスポーツ科学部に合格しました。そして、2人が人間科学部の補欠合格(→繰り上げ合格)でした。
筆者なんかとは熱量が違いますが、同じ早稲田受験組の彼らの勉強に対するひたむきな姿勢はずっと見てきましたし、よく話していましたので、非常に感銘を受けました。
学校全体6人の早稲田合格者のうち4人がクラスメイトである彼らです。本当にリスペクトです。彼らのおかげで筆者も早稲田を目指すことができたし、彼らに追いつくために、これから1年間勉強するエネルギーが湧きました。
(人科に合格した人との1月頃のやり取り。なぜかスクショしてた。)
卒業式は一瞬でした。卒業式が終わった後、最後のHRがありました。M先生から最後のメッセージをいただき、クラス写真を撮って終わりました。
担任のM先生は、最初こそ、「怖いというかうるさいヒステリックな人でやべぇ」という印象でしたが、最後には「頑張る人を誠心誠意サポートしてくれる人」という印象になりました。M先生が担任だったからこそ、勉強意識が高いクラスになったと思いますし、M先生が担任だったからこそ、早稲田合格者が4人も出たと思います。感謝です。
(先生に不合格の連絡をした際のメッセージ。良い人。
でも、全身全霊はかけれなかった。不甲斐ない。)
普通はHRが終わったら卒業アルバムに寄せ書き?みたいなことをしたり、それぞれ友人や後輩、先生や保護者と写真を撮ったりと学校がガヤガヤするのですが、筆者は速攻で帰りました。閉まっている校門を開けて一番乗りで学校を後にしました。
皆と戯れたい気持ちはありましたが、筆者は受験生です。終わっていません。始まりです。すぐに本屋さんに寄り、目星をつけていた参考書を買い、帰宅しました。悲壮感はありません。1年後、合格したらまたみんなと会えばいいだけです。
こうして筆者の高校3年生、現役生としての生活は終わりを告げ、浪人生活が始まります。
次回からは、筆者の自宅浪人生活について書いていきます。ここまで閲覧ありがとうございました。
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塾・予備校に通い始める時期は?