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【過去問解説】青山学院大学 社会情報学部 2018年国語 入試 第三問 解説

青山学院大学 社会情報学部 2018年国語 入試 「第三問」 解説

本記事は聖蹟桜ヶ丘駅から徒歩20秒!“逆転合格”の「武田塾聖蹟桜ヶ丘校の講師による青山学院大学の社会情報学部2018年の国語入試問題の解説記事です。

第一問の解説はこちら↓

https://www.takeda.tv/seisekisakuragaoka/blog/post-124472/

第二問の解説はこちら↓

https://www.takeda.tv/seisekisakuragaoka/blog/post-124581/

 

青山学院大学・社会情報学部 国語の概要

青山学院大学・社会情報学部の国語は、現代文3題。試験時間は60分

古文の出題はありません。

レベルはいずれも標準的なレベルで、ほとんどがマーク式での出題です。

一部、漢字文章の抜き出し記述させる問題が出題されます。

 

今回は2018年の出題分の第三問を解説します。

青山学院大学・社会情報学部 2018年国語 第三問 評論 橋本伸也『大学と国家』

難易度:標準

講評:ヨーロッパ大学史において、学問の自由がどのように獲得されてきたのかについての論考。世界史を履修している受験生であればピンと来やすい内容であるが、苦手な諸君の場合はかなり苦戦を強いられたのではないだろうか。

とはいえ、標準的な読解問題である。『現代文読解力の開発講座』や『入試現代文へのアクセス発展編』等の参考書を確実にこなしていれば、初めて触れた内容でも本文を元に内容理解を出来るようになるはず。全く読めなかった、という諸君は学習方法を今一度見直そう。

 

青山学院大学 社会情報学部 2018年国語 入試 第三問 問1:読解 / 標準〜応用(難易度)

傍線部の理由説明問題。

傍線部1「ここでいう自治は後の学問の自由に直接つながるものではない」の理由を答える問題です。

この問題は傍線部だけ見れば解ける問題ではなく、本文全体を読まないと解けない問題であり、その点で応用的な問題です。

 

「ここ」というのは、中世の大学が学生と教師のギルド的な組合=社団として誕生し、うまく特権を獲得して来た、社団的自治のことを指しています。

よって傍線部を言い換えると

「中世の大学における社団的自治は、後の学問の自由に直接つながるものではない」

ということになります。

「中世の大学における社団的自治」の内容「後の学問の自由」の内容を追っていきましょう。

直後の文を見てみると

「未知の中に真理を探究する自由で創造的な営みとしての学問という考え方は、大学成立からはるか後に、大学の外部で育ってきたものなのです。」

とあります。

この時点で選択肢を見ると、まだどの選択肢も切れそうにありません。

なので、文章を引き続き読み進める必要があります。

 

ヨーロッパの大学史がテーマの文章なので、時間軸に沿って整理してみましょう。

-----

<整理>

第一段落:

中世の大学

→学生と教師それぞれの社団として誕生。特権を獲得してきた。

第二段落:

その後、宗教改革にともない大きく変化

近世の啓蒙絶対主義君主による「新構想大学」の創設

→国家や君主が大学を作った(大学は、国家や君主への[  A  ] (=依存)を強めた )

大学教授の研究・教育上の自由の保障も図られる(傍線部2)

→大学教授団が[  B  ] (=君主と国家) に仕える特権的官吏集団の一角だった(さらに、学者や文士と官僚は重なりあっていた)

ex. ドイツの複数の宮廷で官僚をしたり、ロシアのピョートル大帝にも仕えたライプニッツ。

「学問の自由とは、国家営造物としての大学と特権的集団としての大学教授に認められた自由に他ならなかった」 (18世紀)

第三段落:

ベルリン大学の創設

→フンボルトやカントによる学問の自由を掲げた大学の理念

→実は、文化国家と呼ばれる国家像と表裏一体のものだった

→「国家に制約されない自由な思索に基づく学問の発展とそれを前提にした自由な大学教育こそが、いわば予定調和的に国家の発展をもたらす」よって大学への国家の介入は不要という考え方。

第四段落:

全ヨーロッパ規模で学問の自由が確立していたわけではない。

第五段落:

大学は知的な中産階級上層という特定の階層集団をなしていた

→大学は、近世までの身分的階層構造にかわって[   C(=知識と学歴)   ]に基づく支配的集団を再生産する場だった

→近代市民社会は、学識と教育によって正当化された社会的分断を本質とする

→その意味で学問の自由は、ある種の階級特権としての性格をはらんでいた

第六段落:

19世紀前半のヨーロッパ、とくにドイツにおける大学史の展開は、文化国家説の流れとは大きく異なるものになった

→ナポレオン戦争後の秩序化と、国家の安定をはかったウィーン体制が始まる

→そのもとで復古主義が強まり、大学のなかで育ちつつあったナショナリズムやリベラリズムとの緊張が起こる

→国家が大学を弾圧したり、存廃を決めるような事態

1848年 フランクフルト憲法案に学問の自由の条項が盛り込まれ、1950年プロイセン憲法に継承。

「特権としての学問の自由は、現実の熾烈な政治経験を通じて鍛え上げられ、憲法規範化されたというわけなのです。」


 

以上、ほとんど本文全てをまとめる内容になりましたが、ここまで押さえれば、この設問は問題なく正答が選べます。

傍線部の内容「中世の大学における社団的自治は、後の学問の自由に直接つながるものではない」の理由を説明する選択肢を選ぶんでしたね。

 

1「学問の自由は、宗教改革後の新構想大学においてはじめて獲得されたものであったから」

→新構想大学は近世のもので、啓蒙絶対主義君主によって建てられたものです。そこにおける学問の自由は「学問の自由とは、国家営造物としての大学と特権的集団としての大学教授に認められた自由に他ならなかった」 (18世紀)。限定的な自由なわけです。なので不適。

 

2「中世の大学における自治は、社団としての独立性や特権の保持を目的とするものであったから」

→第一段落でまとめた、「中世の大学は学生と教師それぞれの社団として誕生。特権を獲得してきた」という内容と合致しますね。その後の様々な展開があって「特権としての学問の自由は、現実の熾烈な政治経験を通じて鍛え上げられ、憲法規範化されたというわけなのです。」と結ばれるのがこの文章です。

他の選択肢も検討しましょう。

 

3「中世の大学は、世俗権力および宗教権力の影響から完全に自由であったわけではなかったから」

→確かにその通りではありますが、これが「中世の大学における社団的自治は、後の学問の自由に直接つながるものではない」理由の説明として適当でしょうか?「自治」が「後の学問の自由」に直接つながらない、ことの理由に答えるには、自治に関しても言及する必要がありますね。最適な解とは言えません。

 

4「中世の大学において認められていた自治は、十九世紀前半にいったん廃止されてしまったから」

→まとめた通り、十九世紀前半は「国家が大学を弾圧したり、存廃を決めるような事態が起きていた」んでしたね。しかし、自治が廃止されたからといって、後の学問の自由と直接繋がらない、という話とは繋がりません。不適。

 

5「中世の大学は学生と教師それぞれのギルド的な組合・社団に分裂しており、一元的な自治ではなかったから」

→第一段落で学生と教師がそれぞれの社団であったという内容は説明されていましたが、「一元的な自治ではなかったから」というのが「後の学問の自由」に繋がらなかった理由の説明とは言えません。よって不適。

 

以上の検討から、正答は選択肢2「中世の大学における自治は、社団としての独立性や特権の保持を目的とするものであったから」となります。

 

本文全体を読まないと解けない問題だったので、応用レベルと言って良いでしょう。

 

*青山学院大学の国語を解くときの注意*

青山学院大学や他の大学の入試問題はこの設問のように、本文全体を眺めないと正答が導けない問題が序盤に配置されている例は数多くあります。

その場合は設問に回答するのを「あと回し」にするのも一つの手です。

 

青山学院大学社会情報学部 2018年国語 第三問 問2:空欄補充 / 基本(難易度)

第二段落でまとめた内容ですね。

近世の啓蒙絶対主義君主による「新構想大学」の創設

→国家や君主が大学を作った(大学は、国家や君主への[  A  ] (=依存)を強めた )

この部分でAを埋めるという設問ですが、君主が大学を作る=大学は君主が支配するという関係をイメージできれば簡単です。

1「依存性」

→君主が作った以上、逆らいにくい関係であり、君主の顔色を伺わないと行けない状況だったわけです。大学は君主に依存している、と言えます。これが正解となります。

2「影響力」

→この状況で大学が君主に対して影響力を持つ、というのはおかしいです。君主が、大学に対して影響力を持っていたので、逆です。不適。

3「指導力」

→2と同じ理由で不適。

4「独立性」

→大学は君主に対して依存しているので、逆。不適。

5「発言力」

→2と同じ理由で不適。

 

青山学院大学社会情報学部 2018年国語 第三問 問3:文章読解 / 基本(難易度)

傍線部2「大学教授の研究・教育上の自由の保障も萌芽的に図られています」における「自由」とはどのようなものか?を説明する設問。

第二段落でまとめたように

「学問の自由とは、国家営造物としての大学と特権的集団としての大学教授に認められた自由に他ならなかった」 (18世紀)

なので、このことをまさに説明している選択肢2「国家営造物としての大学と管理集団としての大学教授に特権として与えられた研究・教育上の自由」が正解。

 

青山学院大学社会情報学部 2018年国語 第三問 問4:空欄補充 / 標準(難易度)

空欄を補充するのは、第二段落の以下の二文です。

「ここで重要なことは、この革新が、ルイ一四世のヴェルサイユ宮殿を模して各地に作られた壮麗な宮殿建築と同一次元の、[   B   ]の栄光と威信のためのものだったということです。また、大学教授団が、[   B   ]に仕える特権的官吏集団の一角だったことも想起しておかなくてはなりません。」

 

第二段落の内容をまとめたものを引用します。

近世の啓蒙絶対主義君主による「新構想大学」の創設

→国家や君主が大学を作った(大学は、国家や君主への[  A  ] (=依存)を強めた )

大学教授の研究・教育上の自由の保障も図られる(傍線部2)

→大学教授団が[  B  ] (=君主と国家) に仕える特権的官吏集団の一角だった(さらに、学者や文士と官僚は重なりあっていた)

以上の部分に注目しましょう。

 

「国家や君主が大学を作り、その管理下で大学教授の自由が保障されていた」ことと、問二の内容「国家営造物としての大学と管理集団としての大学教授に特権として与えられた研究・教育上の自由」を踏まえると、大学教授団は何に仕えていることになるのでしょうか?

選択肢を検討しましょう。

 

1「大学」

→今だったらそう言えますが、当時は大学は国家営造物で、その管理集団としての大学教授という関係なので適切とは言えません。

2「世俗権力」

→世俗権力は、宗教などの権力ではない権力の意ですが、大学教授の研究・教育上の自由の保障も邦画的に図られてたことが、世俗権力の栄光と威信のためのものだったと言うのは、ちょっと曖昧で、説明として適切かというと不安が残ります。

3「君主と国家」

→単に世俗権力というよりも、君主と国家といったほうが本文の文脈を適切に踏まえています。君主と国家が大学を作り、大学を支配していたのです。それは君主と国家の栄光と威信のためであり、大学教授団は君主と国家に仕えていた、として自然です。これが正解となります。

4「啓蒙絶対主義」

→啓蒙絶対主義(=ある信条)に大学教授が仕える、というのは表現としておかしいです。不適。

5「ハノーファー選帝侯」

→ゲッティンゲン大学という一例に関してはそうかもしれませんが、一般的に大学教授団がハノーファー選帝侯個人に仕えていた、というのは明らかにおかしいので、不適。

 

以上の検討から、正解は選択肢3「君主と国家」となります。

 

青山学院大学社会情報学部 2018年国語 第三問 問5:四字熟語 / 基本〜標準(難易度)

四字熟語「阿諛追従(あゆついしょう)」「気に入られようとして、おもねりへつらうこと。」

基本的な漢字の問題集には必ず載っているもの。

これが出来なかった受験生は、必ず四字熟語の範囲を復習しよう。

選択肢2が正解。

 

青山学院大学社会情報学部 2018年国語 第三問 問6:文章読解 / 基本(難易度)

傍線部4「二十世紀初頭にフンボルト理念として発見されたのだ」の意味の説明を答える問題。

傍線部前後をみると、

これまでは「ベルリン大学の創設がフンボルト理念によって行われている」という理解がされてきた

→最近ではこの見方が相対化されてきている

→啓蒙絶対主義改革から十九世紀前半にいたる長期の時間のなかで徐々に形成されてきた、大学のあり方についての合意が傍線部「二十世紀初頭にフンボルト理念として発見されたのだ」

という内容が取れます。

 

加えて、上でまとめた第三段落の部分を思い出してください。

第三段落:

ベルリン大学の創設

→フンボルトやカントによる学問の自由を掲げた大学の理念

→実は、文化国家と呼ばれる国家像と表裏一体のものだった

→「国家に制約されない自由な思索に基づく学問の発展とそれを前提にした自由な大学教育こそが、いわば予定調和的に国家の発展をもたらす」よって大学への国家の介入は不要という考え方。

 

この内容を踏まえた選択肢が正解になります。

1は、フンボルトよりカントが先に出した著作の内容がフンボルト理念として理解されたという内容が本文とは合致しないので不適。

2は、「二十世紀になって改めてフンボルトの功績が認められるようになって」が不適。そういうことではなく、徐々に形成されてきた、大学のあり方についての合意が後になってフンボルト理念と呼ばれたのだ。

3「ベルリン大学創設に際してフンボルトの示した高等教育理念は、実際には啓蒙絶対主義改革から十九世紀前半に至る家庭で徐々に形成されてきた大学のあり方についての合意事項と理解すべきものであったが、フンボルトの策定した文書にそれを見出した二十世紀初頭の研究者が、フンボルトの創始した理念と考え紹介したことをいう。」は、上記の内容・経緯をそのまま説明しているものであり、適する。これが正解。

4は、フンボルトが啓蒙絶対主義改革以降の蓄積されていた大学のあり方に関する合意事項を体系化したという内容が本文に無い内容なので、不適。

5は、フンボルトの示した高等教育理念が一般に承認されていなかったため、という内容が本文に無いため不適。

 

よって正答は選択肢3である。

 

青山学院大学社会情報学部 2018年国語 第三問 問7:文章読解 / 標準(難易度)

傍線部5「示唆的」が、具体的に何を示唆しているのかを答える問題。

傍線部5を含む文を見てみると

「このような大学論の性格を考える際に、大学における官僚養成機能の強まりと官房学と呼ばれる統治のための学の発展とが手を携えて進んだことは示唆的です。」

とある。

「このような大学論」とは、第三段落の以下の部分を示している。

 

フンボルトやカントによる学問の自由を掲げた大学の理念

→実は、文化国家と呼ばれる国家像と表裏一体のものだった

「国家に制約されない自由な思索に基づく学問の発展とそれを前提にした自由な大学教育こそが、いわば予定調和的に国家の発展をもたらす」よって大学への国家の介入は不要という考え方

 

ここまでを踏まえて、選択肢を検討してみましょう。

1「大学という組織が、本質的に国家の運営を担う官僚養成を目的とするものであったこと」

→本文にはそのような内容は書いていない。不適。

2「ベルリン大学の創設が、大学の自治と学問の自由を原理的に確立させた画期であったこと」

→そもそも学問の自由はここでは確立されていないため不適。

3「自由な思索に基づく学問の発展と自由な大学教育こそが、予定調和的に国家の発展をもたらすこと」

→これは文化国家の内容を説明したものであるが「大学における官僚養成機能の強まりと官房学と呼ばれる統治のための学の発展とが手を携えて進んだこと」が示唆している具体的な内容が文化国家である、というのは本文の説明としては不適。

4「フンボルトやカントらの掲げる大学の理念は、文化国家と呼ばれる国家像と表裏一体であったこと」

大学における官僚養成機能の強まりと官房学と呼ばれる統治のための学の発展とが手を携えて進んだことが示唆している内容として適当なので、これが正解。

5「フンボルト理念が、実際には長期にわたる時間のなかで多くの人々によって形成されたものであったこと」

→これは、問六の話であり、本文とは関係ない。不適。

 

青山学院大学社会情報学部 2018年国語 第三問 問8:空欄補充 / 標準(難易度)

空欄Cを含む文は、第五段落をまとめた以下の内容になります。

 

第五段落:

大学は知的な中産階級上層という特定の階層集団をなしていた

大学は、近世までの身分的階層構造にかわって[   C   ]に基づく支配的集団を再生産する場だった

近代市民社会は、学識と教育によって正当化された社会的分断を本質とする

→その意味で学問の自由は、ある種の階級特権としての性格をはらんでいた

 

この内容を踏まえて選択肢を検討しましょう。

1「学問の自由」

→学問の自由に基づいて支配的集団が再生産される、というのは内容としておかしい。不適。

2「社団的自治」

→1と同じ理由で不適。

3「知識と学歴」

近代市民社会は、学識と教育によって正当化された社会的分断を本質とするという本文の内容と合致している。これが正解。

4「啓蒙絶対主義」

→啓蒙絶対主義は、当時作った大学を支配していたというだけであり、これに基づいた支配的集団が再生産されたわけではないため、不適。

5「主権国家体制」

→これも上記と同じ理由で不適。

 

青山学院大学社会情報学部 2018年国語 第三問 問9:文章読解 / 基本(難易度)

傍線部6「近代市民社会」について、筆者がどのように考えているかを答える問題。

これも、問八で正答を選んだ根拠

近代市民社会は、学識と教育によって正当化された社会的分断を本質とする

という内容をそのまま説明した選択肢4「受けた教育の差によって分断される階級社会」が正解。

 

青山学院大学社会情報学部 2018年国語 第三問 問10:空欄補充 / 標準(難易度)

空欄Dを埋めるのに最適な語を本文中から抜き出す記述問題。

空欄Dを含む文は以下で、第六段落にある。

「国家営造物としての大学の前に[   D   ]は、存廃さえやすやすと決めることのできる絶対的権力として屹立したのです。」

これは、第六段落で整理した以下の内容をみれば正答にたどり着ける。

 

19世紀前半のヨーロッパ、とくにドイツにおける大学史の展開は、文化国家説の流れとは大きく異なるものになった

→ナポレオン戦争後の秩序化と、国家の安定をはかったウィーン体制が始まる

→そのもとで復古主義が強まり、大学のなかで育ちつつあったナショナリズムやリベラリズムとの緊張が起こる

国家が大学を弾圧したり、存廃を決めるような事態が起きた

 

上記では、空欄Dを埋めたまとめになっていますが、ここで考えていただきたいのは、大学を弾圧したり、存廃を決めるほどの大きな存在, 絶対的権力として屹立する存在は、どのようなものが考えられるか?ということです。

 

それほど大きな存在で、本文に記載のあるものといったら「国家」しかありません。

よって、答えは「国家」です。

青山学院大学社会情報学部の国語を解くのに必要なことは?

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