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受験において日本語の読み書き能力は重要だよという話(書き編)|武田塾京都校

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受験において日本語の読み書きは重要だよという話(書き編)

京都の予備校と言えば武田塾京都校!講師のS.Yです!

前回、受験において日本語の読み書き能力は重要だよという話(読み編)というブログをアップしました。

受験勉強をする上で、また、試験問題を解く上で、科目に関わらず共通して重要となる「日本語」について、「読み」に焦点を当ててお話ししました。

「読み」に関する能力は、基本的にはインプットの場面で問題となります。一方、今回お話する「書き」は、主にアウトプットの場面で問題となるものです。

武田塾のメソッドを実践して、効率的に知識をインプットしたとしても、その知識や理解を試験本番で発揮する仕方が不十分であれば、思う様に点数に結びつきません。これは、特に論述形式での解答が求められることの多い国公立大学の入試では顕著です。むしろ、私立大学と国公立大学の受験難易度の違いは、日本語の運用能力の求められる程度が違うということによって説明がつく部分が多いと思います(*)。

*「一般に私立大学受験より国公立大学受験の方が難易度が高い」という話をしているのではありません。科目数が多いとか、各大学の難易度帯がどうであるとかによって異なることは当然ですし、今はどうでもいい話です。そうでなくても、聞かれている知識そのもののレベルは、私立大学の方が高いこともしばしばです。ここで述べようとしていることは、記号としての知識を選択形式や単語を記述する形式によってアウトプットすること、知識同士の結びつきや概念の理解を論理的に表現する形式によるアウトプットは質的に異なり、アウトプットすべき対象そのものの難易度が高いか、アウトプットする方法の難易度が高いかに違いがあるということであり、日本語の運用能力のうち「書き」に関するものは、後者において特に重要になってくるという話です。よって、「論述形式の方が、単語を見たらわかるというレベルではダメで、しっかり覚えておかないといけないから難易度が高いという」程度の話をしているのでもありません。選択形式の試験と論述形式の試験の難しさの違いを語る上で、「求められる記憶の質の違い」に言及することは、それ自体間違いではないとしても、それのみに言及することは、解像度が低いと言わざるを得ません。

受験における「日本語」の重要性については、前回記事をご覧ください。今回は、前回の続きとして、日本語を正しく書く上でどのようなことに気を付ければよいかを、日ごろ受験生を見ていて感じること、自分が文章を書いているときに気を付けていることについていくつか挙げてみようと思います。

また、巷では、日本語を書くときの注意について、ブログ記事や書籍などで紹介されていることも多いです。それらを参照すれば足りるのであれば、僕がわざわざブログを書く必要はなく、指定して読んでもらえれば良かったのですが、数冊確認したところ、新聞社・出版社の校閲部が出している「正しい日本語の使い方」と題される類の本は、内容の正確性は高いのですが、あくまで誤用の多い言葉や、正しいコロケーションを説明するもので、本ブログで取り上げたい内容とは異なりますし()、書く時の注意に触れている本は、たしかに部分的に良い指摘をしている箇所はあるが、全体的に間違いの例文の質が低かったり、書き手の好みに属するものをあたかも誤った書き方として説明していたりで、1冊買ってもらって10ページ分は参考になるよというわけにはいかず、今に至るというわけです。

*もっとも、役不足と力不足の意味の取り違え、連体形で使うことがほとんどない形容動詞を連体形で使うといった言葉の誤用や、「傾向」は「ある/ない」というのが最も一般的で、「強い/弱い」はまあいいかなというレベル、「高い/低い」「大きい/小さい」とは言わないというようなコロケーションの誤りはよくありますし、余裕があれば読んで欲しいと思います(時間が無ければ、大学生になってからでもいいです)。付け加えていえば、明治の文豪が書いたような文章が題材になったときに、文中の言葉で、現在ではおよそ使わない・誤用とされる言い回しをそのまま答案に書いてしまうというのも大変よくあります。この点は、現代文添削課題!! 解答・添削編というブログでチラッと触れています。

そこで、本ブログでは、僕の担当生徒さんが宿題やテストで実際に書いた論述式の答案を誤りの例として参照したり、ネットに上がっている校閲を受けていない日本語を拝借したりしながら、「質の高い誤文」を例にして、書き方について述べたいと思います。また、書き手の好みに属するレベルの問題については、逐一その旨を指摘しつつ、「文法的にも、一般的な日本語の使い方としても誤りではないが、この語順にする方が、○○という理由で読み手に親切な表現になると思います」などと書いていこうと思います。(とはいいながら、またしても、時間が無い!)

 

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現代文における日本語

主語と述語の対応関係を意識する

文例:麻理子が原爆と関係のある病気で入院していると勘違いしていると考えている。

問:文例の日本語的な問題点を指摘してみましょう。

この文例は、「麻理子は「みんな」がどのように「誤解」していると考えているのか」という問いに対する答えとして書かれた文章です。

前提となる事実関係は、「麻理子が、複数人に対し、電話で、自分が出産のため原爆病院に入院したことを伝えると、みんな妙に慌てた。」というものです。

 

 文例には、「麻理子」という主語に対し、「入院している」「勘違いしている」「考えている」という3つの述語があります。文例だけ見ると、「麻理子」という主語にどの述語を対応させれば良いのかさっぱり分かりませんね。素直に読めば、「入院している」でしょう。そのうえで、「勘違いしている」麻理子ではない別の人(例えば、Aさん)がいるんだろうなあと考えて、さらにAさんが勘違いしていると「考えている」Aさんではない別の人がいるのかなあと理解することになります。

 もっとも、この解答を書いた方は、設問に「みんな」とあるから主語が欠落したと主張すると思われます。よく見れば、「考えている」という述語に対応する主語である「麻理子」も設問中にあります。おそらく、設問文の「どのように~」に対応するところを書いたのでしょう。気持ちはわかります。しかし、そのように考えて、文例のように書いてしまうことこそが、「主語と述語の対応関係」を意識していないことの表れといえるのではないでしょうか。

 設問文に続く形で、文例の文章を代入すると、「麻理子は、みんなが、麻理子が、……。」となって奇妙千万です(ただし、文法的に誤りとまでは言えない)。設問で既に書かれていることは省略して良いというスタンスをとるのであれば、文例をややこしくしている原因である「考えている」という述語も省くのが良いと思います。設問文との関係では、「(みんなが、)麻理子が原爆と関係のある病気で入院したと誤解している」でよい気がします。

 全文書くなら、「麻理子は、自分が原爆に関係する病気で入院したとみんなに誤解されていると考えている」などでしょうか。

 

存在するコロケーションで文を書こう

文例:母が友達の家で泊まったり、夕食したりするのを許さなかったのは、女手一つで息子を育てる母が、誰にも迷惑をかけないということにこだわっていたこと。

問:文例が伝えたい意味を、文例全体を見て考えながら、どこをどのように直せばよいか考えてみましょう。

 

おかしなところはたくさんあります。

 まず、「友達の家で泊まる」は変ですよね。「友達の家で」とくれば、「遊ぶ」「ご飯を食べる」「昼寝をする」「大騒ぎする」など、「家の中ですることができる動作」が来て欲しいものです。しかしながら、「泊まる」ということばは、「自分の家以外の場所に宿を取ること」を意味し、「〇〇(宿泊先にあたる名詞)に泊まる」という使い方をします。「(宿泊先に当たる名詞)で泊まる」という表現は普通しません。

 つぎに、「夕食する」ともいいませんね。「夕食をとる」「夕食を済ませる」「夕食にする」「夕食を食べる」などといいます。「夕食をしよう」という表現は、かっこいい表現と勘違いした人が一部使っているくらいでしょう。

 以上の表現を訂正して前半部分を見ると、「母が友達の家に泊まったり、夕食を食べさせてもらったりするのを許さなかったのは、」となります。前節の「主語と述語の関係」を意識すると、①「泊まる」「食べる」の主語が書き手で、「許さない」の主語が母であるという読み方も、②「泊まる」「食べる」の主語が母で、「許さない」の主語が書き手であるという読み方もどちらも可能です。両義的な書き方は不適切です。どちらの意図で書きたかったのかを特定するために後半を読むと、「誰にも迷惑をかけないことにこだわっている」のは「母」なので、①の読み方が正しそうです。そうであれば、「私が友達の家に泊まったり、夕食を食べさせてもらったりするのを母が許さなかったのは、」という風にすべきですね。

 最後に、「~かったのは…ということ」というちぐはぐな表現を直しておくべきでしょう。「~なのは、~だからだ」となるはずです。

「私が友達の家に泊まったり、夕食を食べさせてもらったりするのを母が許さなかったのは、女手一つで息子を育てる母が、誰にも迷惑をかけないということにこだわっていたからだということ。」

 

文例:長患いの病人を家で看取った者の満足感と、死亡の責任を問われない医師の安堵感が混ざり合ってできたなごやかな死。

問:文例中の誤った表現は探してみましょう。

 

「できた……死」はさすがにおかしいですよね。「死ができる」などという表現は普通しません。マッドサイエンティストかなんかですか?それともネクロマンサー?

「混ざりあった、なごやかな死」「混ざりあってなされたなごやかな死」ぐらいにしておきましょう。

 

応用編

文例:3年の秋学期では「公法総合Ⅱ」というオムニバス講義では、国定教科書ともいわれていた曽和俊文=野呂充=北村和生[編著]『事例研究 行政法』(日本評論社)です。

問:文例の日本語的な問題点を指摘してみましょう。

おそらく使用した(読んだ)本を紹介する文章でしょう。しかし、一見しておかしな日本語の使い方であるとわかる文章になってしまっています。このような「一見しておかしいとわかる」日本語の文を、大真面目に書く人はほとんどいません(少なくとも自発的に文章を書く人の中には。)。しかしながら、数千字、数万字の文章を書くときの推敲前の段階では、このようなミスはどのような書き手であってもやってしまうものです。

 

文例の問題点の1つ目は、「では」が連続しているところですね。察するに、オムニバス講義は3年の秋学期にあったものと思われるので、「3年生の秋学期に行われた~というオムニバス講義では、」でよいでしょう。

問題点の2つ目は、主語と述語が対応していないことです。「講義では、~」とくれば、「使われた・話された・行われた・繰り広げられた」など、その時間・空間でされた地齋の動作を述語に取りたいところです。しかしながら、文例では「(書名)です」で終わっているので、ちぐはぐです。「講義で使った本は○○です。」にするか、「講義では、○○を使用しました。/が指定されました。」とすべきでしょう。

先ほど、長大な文章を書く際には、このようなミスが起こると言いましたが、本件のような主述が対応しないタイプのミスは、①文を書きながら先のことを考えているとき(✳︎)、②一度書いた文章に部分的な修正を加えるときに特に起こりがちであるように思われます。

✳︎「先のことを考えながら文を書いているとき」とは意図的に表現を分けています。

 

文例:私は中学生の頃に偏差値40を取って、偏差値70である、この高校に行くのにめちゃくちゃ苦労していて、その経験から、高校に入ってから死ぬ気で定期テストには挑んでいたので、指定校推薦を目指せるくらいの成績ではいました。

問:文例の日本語的な問題点を指摘してみましょう。

この文例もいくつかおかしなところがありますね。この文の以前の文章には1つも日本語的な誤りがなかったのですが、やはり長文を書くと少し崩れるのでしょう。

 

 この文例は、①高校進学で苦労した。そのため、②高校の定期テストは頑張った。その結果、③高校の成績はよかった。という①〜③の3つの要素を一文で書こうとしたものと思われます。そして、①〜③の主語は、いずれも「私」です。複数の文を一文にまとめる場合、主語が共通するのであれば、最初の主語のあとに読点を打って、主語を切り離す方が一読で文意が伝わる文章になることが多いです。もっとも、この文章で①〜③の主語が「私」であることを読み違うことはないと思われるので、「私は、」とするかどうかは好み(親切さ)のレベルといってもいいかもしれません。

 不適切といってもよいレベルの箇所としては、「この高校」の「この」の指示対象がないことでしょうか。ちなみに前後文にもでてきません。おそらく、「偏差値70の高校」のことと思われます。それが、偏差値70の高校以外に情報がないため、「この」が何を指しているのか分からなくなってしまっています。「最終的に偏差値70の高校に進学したものの、そのときにめちゃくちゃ苦労していて」などとすれば改善されるでしょうか。

 次に挙げるべきは、「定期テストには」の「には」です。「は」が入っているのは「定期テスト」とそれ以外のものを区別して、「定期テストはがんばった」と言いたいためだと推察されますが、それ以外のもの(例えば、模試・部活動・学校行事など)の話が出てくるわけではないので、伝えたい内容との関係では不要です。「定期テストに挑んでいたので」でよいでしょう。

 「成績ではいました」の「は」は削除してもいいと思いますが、削除しなくても問題ないので、「若干謙遜する」という書き手の意図を汲んでそのままにしておきましょう。

「私は中学生の頃に偏差値40を取っており、最終的に偏差値70の高校に進学したものの、そのときにめちゃくちゃ苦労していて、その経験から、高校に入ってから死ぬ気で定期テストに挑んでいたので、指定校推薦を目指せるくらいの成績ではいました。」あまり手を加えずに修正するとすれば、このようになるでしょうか。

 

英文和訳における日本語

少し毛色が変わりますが、英文和訳をするときに、解答として書く日本語文について少し言及しておきたいと思います。

ここでも、英語の勉強の成果により、英文の意味を捉えることができたとしても、書いている日本語が英文の書きぶりを反映していなければ、点数には結び付きません。

もっとも、この点は、英文和訳をするときの日本語について(その1)~要諦シリーズ第2弾~ですでに触れています。以下では、そこで扱った例文も交えながら書いています。

助詞の使い方

英文例:The scientist approaches the deep questions of existence from utterly different starting points.

和訳例:科学者は、全く異なった出発点から、存在の深い問題に取り組む。

問:和訳例の日本語的な問題点を指摘してみましょう。

一見正しそうな和訳です。別に満点をつけてもいいかもしれません。採点基準や相対評価によっては実際に丸がつくかもしれません(むしろ、その可能性の方が高い)。しかし、問答無用で点数の引きどころのない答案を書くという意味では、少し不十分です。そうでなくても、場合によっては同じミスでも致命的ということもあるので、日ごろから意識しておいてほしいです。この節のタイトルを参考にしても良いので(笑)、ちょっと考えてみてください。

 

この和訳例の問題点は、「存在の深い問題」の部分です。もとの英文は、「the deep questions of existence」ですから、「deep」も「of existence」も「questions」にかかります。おそらくそのことは理解した上で、書かれた和訳でしょう。「存在の問題」と「深い問題」をくっつけたようにみえます。しかしながら、「存在の深い問題」だと、助詞の「の」は格助詞の主格の使い方のようにも読めますから、深いのは存在であり、「存在が深い問題」と理解したと思われかねません。このような誤解を避けるためには、「存在についての深い問題」と訳しておく方が親切でしょう。これなら、格助詞「の」は連体修飾としてしか読めませんし、点数の引きどころはありません。

 

英文例:Your Japanese is not completely wrong.

和訳例:あなたの日本語は完全に間違っていない。

問:和訳例の日本語的な問題点を指摘してみましょう。

この和訳は完全に間違っていますね(笑)。どこがおかしいでしょうか?

 

この和訳例の問題点は、部分否定を訳出できていない点です。「not wrong」で「間違っていない」。それに「completely」がついているから、「完全に間違っていない」という理解をしているとすれば、単なる英語力の不足です。しかし、「not completely」だから部分否定だ、ということが分かっているのに和訳例のように書いたとしたら、それは日本語の運用能力の欠如です。「あなたの日本語は完全に間違っていない。」のようにすべきですね。このように、助詞1つあるかないかで意味が決定的に異なるような場合もあります。

品詞を意識する

英文例:Children are fantastic little learning machines.

和訳例:子どもたちは、素晴らしく小さな学習機械だ。

問:和訳例の日本語的な問題点を指摘してみましょう。

この和訳は、厳密には誤りです。英文の適切な訳出にはなっていません。とはいえ、採点官が見過ごすかもしれないし、見とがめられても不問にされるかもしれません。どこがまずいでしょうか。

 

この和訳例の問題点は、「素晴らしく小さな」の部分です。もとの英文は「fantastic little learning machines」ですから、「fantastic」も「little」も「learning」もすべて形容詞であり、「machines」にかかります。そうであるにもかかわらず、和訳にあたって、「素晴らしく小さな」とするのは誤りです。このような書き方だと、「小ささが素晴らしい」ということになり、「fantastic」を副詞と捉えて「little」に欠けているような訳になってしまうのです。

 

英文例:It's what allows us to travel overseas.

和訳例:それはわたしたちが海外旅行に行くことを許可する。

問:和訳例の日本語的な問題点を指摘してみましょう。

この和訳も、誤りと言っても良いと思います。大体の意味を把握して読むという程度のザックリとした読みであればまだしも、和訳の問題の解答として書くのであれば、0点がついてもおかしくありません。

 

この和訳例の問題点は、文型の取り違えです。文型の取り違えが「品詞を意識する」という項目で説明されることに違和感があるかもしれませんが、このような間違いは、本問のような簡単な例文ではあまり起こらないとしても、より複雑な英文になったときに、名詞節なのに名詞として取っていない、形容詞節なのに形容詞として取っていないことにより文型・構文がぐちゃぐちゃになっているという風にして現れることが多いです。

本問の英文例は、SVCになっていますね。しかし、和訳例はSVOのようにして訳しています。さすがにbe動詞の英文でそれはないだろうと思われるかもしれませんが、抽象的な英単語の和訳や、分詞構文、倒置、省略、複数の修飾語句、挿入によりSとVが離れているなどを一気に相手にしていると(一気に相手にすること自体がそもそもの間違いですが)、案外気が回らなくなるものです。名詞節は名詞節として訳すのが普通であり、無生物主語の文章を意訳するときのような例外でなければ、崩してはならない原則です。「それは、海外旅行をすることをわたしたちに許可するものだ。」のように書くべきですね。

応用編

英文例:It is difficult these days not to believe that literature and the arts attract less attention, and science and technology more attention, than a few generations or centuries ago.

和訳例:数世代前、あるいは数世紀前より、文学や芸術が興味をひきつけず、科学や技術がより興味をひきつけているのは、今日では信じない方が難しい。

問:和訳例の日本語的な問題点を指摘してみましょう。

問題点は、2か所以上あります。不十分な理由を考えながら、自分ならどう直すかを考えてみましょう。

 

問題点は、

1つ目は、「not to believe」の訳し方です。文頭の「It」は形式主語で、「not to believe that~」を指しているのですから、「to believe」は不定詞の名詞的用法ですね。そうであれば、名詞として訳出すべきであり、ここでは、端的に「信じないこと」とすべきです。「信じない方が」などと書くと、暗黙の裡に「信じる方」との対比になっており、不必要な意味が加わってしまっています。

2つ目として、主語の取り違えです。主語は「It」であるところ、「It」は形式主語で、「not to believe that~」を指しているのですから、「ひきつけているのは」で切って主語にしてしまうのではなく、「惹きつけていることを信じないことは」とすべきです。このとき、「信じないことが」とするのは不適切です。主語と題目語の違いですが、現代日本語文法的な話をしなくても、「英語が難しい」と「英語は難しい」の違いを考えてもらえばわかると思います。一般論であることを明確にしたいです。もっとも、和訳例のように、「信じない方が」の前にすでに「興味をひきつけているのは」と話題を提示して限定している場合には、「が」での方が良いので正しいのですが、そもそもの英文の理解として主語を取り違えた役になっているという点で不適切であることには変わりありません。

3つ目は、「attract ... attention」の訳し方です。「興味をひきつける」と訳していますが、このような言い方はしません。「惹きつける」というのは、「人や動物の心や興味を誘い寄せること」をいうので、目的語は、「人・動物」などの行為主体です。よって、「興味」を目的語に取る使い方はしません。訳出の上では、「関心を集める・注意を引く」とするのが望ましいでしょう。

4つ目は、「than」の訳し方です。「数世代前、あるいは数世紀前より」と訳出していますが、これだと、「より」は起点や時間の意味と捉えられかねません。「less...than」「more...than」であることを意識すると、「関心を集めるようになっている」とするのが綺麗だと思いますが、こう書いたときには、なおさら「より」は起点の意味に見えてきます。しかしながら、「than」は比較の対象を示しているのであって、「数世代前、あるいは数世紀前ぐらいから…」と言いたいわけではありません。その点を明確にするためにも、「より」という多義的な助詞を使うのではなく、「数世代前、あるいは数世紀前と比較して」などと一義的に明確な表現を使うのが望ましいと思います。採点官の忖度に期待する解答はよくありません。付け加えていえば、比較対象に続けて「より」と書いたならば、「○○の方が」など明示的な比較対象で受けるのが自然だと思いますが、そうなっていませんし、それどころか、「信じない方が」などと書いてしまっているので、だいぶややこしくなっています笑。

「数世代前、あるいは数世紀前と比較して、文学や芸術が関心を集めず、科学や技術がより関心を集めるようになっているのを信じないことは、今日では難しい。」などとすべきでしょう。

ここまで日本語にこだわると、解答はほとんど1通りになります。

*どうでもいい話ですが、「arts」という風に複数形になっているのが若干気になりますね。「art」は不可算名詞として使うことが多いですし、一般的に芸術というときは不可算名詞でしょう。複数形で使うときは、理科系の科学である「sciences」と対比して、人文科学を意味することがありますが、この英文では「science」と無冠詞単数になっているので、違いそうです。意味的にも、芸術・美術と取っておくほうが良さそうです。諸芸術なら「The arts」な気もするし……。うーん。

 

英文例:To put it another way, with the aid of symbols it becomes possible for the individual to solve problems and arrive at results without going through the slow and clumsy process of trial and error.

和訳例:別の言い方をすれば、記号の援助により、個人が試行錯誤という、遅くて、不器用な過程を通らなくても、問題の解決や、結果に到達する可能性がある。

問:和訳例の日本語的な問題点を指摘してみましょう。

問題点は、2か所以上あります。不十分な理由を考えながら、自分ならどう直すかを考えてみましょう。

 

1つ目は、「可能性がある」という表現です。「become possible to不定詞」という表現は、「~することを可能にする」という表現です。英語の理解の問題なのか、日本語の書き方の問題なのかは場合に寄りますが、できるという意味の「可能」と、「可能性」とを混線する誤りはよく見かけますので、注意してください。

2つ目は、「問題の解決」という表現です。「become possible to solve problem」だけであれば、「問題の解決を可能にする」という和訳を付けても問題ないでしょう。しかし、今回の英文例では、「for the individual」という表現が挿入されています。これは、「It is difficult for me to solve the problem.(私がその問題を解くのは難しい。)」というのと同じ形で、不定詞の意味上の主語を表す表現ですね。その場合、意味上の主語に当たる名詞を主語として、不定詞表現に使われている動詞を述語として訳すのが一般的です。したがって、「問題の解決」というように名詞で訳すのではなく、「個人が、……問題を解決したり、結果に到達したりするのを可能にする」と訳すのが望ましいです。ちなみに、「問題の解決や、結果に到達する」と書くと、「結果」だけでなく「問題の解決」も「到達する」にかかるように読めなくもありません(ふつう読まないとは思いますが、読めなくはない)。その意味でも不適切です。

 

日本語の表現の誤りは、指摘しだすとキリがありません。もっとさまざまなバリエーションがあるでしょう。時間が許せば追加していこうとも思っています。

誤りを少なくするためには、まず、①自分で自分の書いた日本語を読み直すこと、そして、②日本語の得意な人に読んでアドバイスをもらうこと、最後に、③①②を踏まえて、意識しながら書くことです。①~③のサイクルを繰り返せば、少しずつ改善されていくのではないでしょうか。

さらばじゃ。

 

 

 

 


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