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【日本史②】弥生時代のポイントってなに?縄文時代との違いは?

こんにちは!武田塾志木校の関です!

台風が過ぎて、

いっそう熱くなってきましたね。。。

 

学校に行くのもそうですが、

外に出るのが億劫な毎日です

 

ただ、ここで暑い日差しにだらだら溶けていると

受験はあっという間に来てしまって、

気付かぬうちに

結果とあなたの感情が冷めきってしまいます。

 

今日できることを精一杯やっていきましょうね。

 

それでは始めていきましょう!

さて、このブログでは前回に引き続き、

各時代における日本史のポイント

をお話していこうと思います。

 

あ、そうそう、そういえばこの前の模試では、

僕が紹介したポイントの1つ

縄文時代の遺跡」が出ていました。

皆さん解けましたか?

いざ聞かれるとドキッとしません??

 

ただ、前回のブログを見てくださった方々は

自信をもって得点することが

出来たのではないでしょうか。

 

意外と信用できるもんなんですね。

こういうブログって。

 

↓そんな前回のブログはこちらから↓

 

【このブログで「日本史のポイント」を初めて見てくださった方

僕のブログでは

4年間の特訓の経験を通して分析した、

 

「こんなところ、つまづきやすいよ!」

「ここ覚えておくと強い!」というような

 

「日本史のポイント」

各時代ごとにお伝えしていこうと思います。

 

受験に向けて走り出している皆さんはもちろんのこと、

受験準備を進めている1,2年生や

「そもそも日本史と世界を選ぶにあたって情報が知りたい!」

という君の力になることが出来たら幸いです。

 

今回の範囲は?

今回の範囲は、原始古代史のラストテーマである「弥生時代」です。

この時代からはホモ・サピエンス達にも名前が付き始め、

日本史受験生が「漢字嫌いです」と言い始めます。

 

また文化交流にも明確な文献証拠が現れて、

より一層、当時の生活や交流の様子が明瞭となっていきます。

 

ややこしくなっていくからこそ、

嫌がらずに一緒にポイントを確認していきましょう!

 

弥生時代のポイント

さて、弥生時代と言われて何を思い浮かべるでしょうか?

きっと多くの方が思い浮かべるのは「水稲耕作」

なのではないかと思います。

 

「あれ?水稲耕作って板付遺跡や菜畑遺跡もなんじゃ?」

前回のブログを見て下さった方はそう感じますよね。

実はこれらは水稲耕作をしていながらも

縄文土器を使用していた形跡がある遺跡です。

 

じゃあ弥生時代って…?

弥生時代とは水稲耕作を基礎として、

金属器や弥生土器、機織り技術などが

重なった時代のことです。

 

そしてこれらの技術は、縄文人が自分たちで生み出したものではなく

朝鮮半島から技術を持った人間が日本列島にやってきて、彼らと一緒に作り上げていった時代でもあります。

 

そんな概要を抑えたうえで、この先のポイントを確認していきましょう。

 

 

中国の歴史書には気を付けて!

縄文時代までは発掘された土器や人骨などから

当時の人々の生活や文化交流の様子を判断していました。

これを考古学といいます。一度は聞いたことあるのではないでしょうか。

 

しかし、弥生期に入ると

中国の歴史書に日本の様子が書かれるようになります。

これを、文献史学と言います。こちらは聞いたことのない方もいるかもしれません。

ワード自体を覚える必要はありませんが、

こういう区別があるということは知っておいてくださいね。

 

突然ですが、ここで問題です!

『漢書』地理志の内容を説明してください。

 

いきなり過ぎました。ごめんなさい。

ですがみなさん出来ましたでしょうか。

 

学校の授業でも史実について「○○に載ってるんだよ」と

教わることはあれど、その文献を詳しくやることって

あまりなかったりします。

 

また、受験生の皆さん自身も

歴史の流れに気を取られ過ぎて

文献内容まで手が回っていないことも

多いのではないでしょうか。

 

そんなところを大学は突いてきます。嫌ですね

 

それに加えて、歴史的文献はこれだけじゃなくて、

その後の日本の様子を記している書物には

『後漢書』東夷伝

『魏志』倭人伝    などがありますが、

この内容が、まぁ~混ざりやすいんです。

 

実際の問題形式では…

例として一問作ってみますね。是非考えてみてください。

 

【正誤問題です】

『後漢書』東夷伝には、楽浪郡に倭人の定期的な使者が送られていたことが記されている。

〇か×か。

 

どうでしょうか。

 

あなたの考えた答えが〇だとしても、×だとしても

根拠を持った解答が出来ましたでしょうか?

 

これが

「日本史は用語だけ覚えても解けない」の典型です。

内容やその時の時代背景、出来事の流れまで把握していないと、どこかで引っかかってしまうんです。

 

この問題、「正直分からなかったよ」という方は

今後の対策として資料にも目を通しておくようにしましょう。

 

 

あっ、ちなみに答えは×です。

定期的な使者の記述は『漢書』地理志ですよね。

 

ややこしい。

 

お墓が豪華に…?

弥生時代に入ると埋葬方法が

「屈葬」から「伸展葬」に変わります。

「こいつ、、、生き返るんじゃね…?」という思想が薄まったことが原因。

 

また、稲作によって定住するようになった弥生人の社会には身分の高い弥生人というものが発生します。指導者など交流が得意な人。

 

クラスの陽キャの言うこと聞いちゃうみたいな

(陽キャは身分に関しては一緒ですが。)

 

そんな人が亡くなると、弥生人たちは

「他の人より目立つお墓にしてあげよう」

と考え始めます。

 

そして外国との交流の中で知見を得て

甕棺墓/支石墓/箱式石棺墓/方形周溝墓/

墳丘墓(四隅突出型墳丘墓や楯築墳丘墓)

などのお墓を作り出しました。

 

さあ皆さん。これ書けますか?

 

「名前は出てきているんだけど、漢字が出てこない泣」と苦しんでいる生徒さんをよく見かけます。

あなたは必ず書けるように!

 

 

漢字だけじゃない!?-お墓の地域性-

漢字とのダブルパンチです。実はこのお墓たち、地域ごとで分かれるんです。

 

例えば

甕棺墓・・・北部九州

方形周溝墓・・・近畿地方

楯築墳丘墓・・・岡山県あたり

 

上記を見てわかる通り

具体的にここ!とピンポイントで覚えておく必要はありません。

 

「だいたいここらへんだな」というイメージを持っておいてくださいね。

私は受験生当時、付箋に日本地図を書いて

ここら辺の地域で分かれているなというところを

蛍光ペンなどで色分けしていました。

 

火曜日にあがった模試復習のブログにもありましたが、「視覚化」ってすごく記憶に残りますし、付箋に貼って、いつも使う参考書に貼っておくと、嫌でも目につきますから、復習の回数も確保できるので一石二鳥です。

 

是非真似してみて下さると嬉しいです!

 

 

↓模試復習のブログはこちらから↓

何と言っても邪馬台国は外せない!

でました。邪馬台国です。卑弥呼ですよみなさん。

 

邪馬台国では人々にも階級が明確に生まれ(大人・下戸)租税などの組織制度も作られていきました。

クニが国へと変わっていくということですね。

 

そんな中、確認して欲しいのはこちら

 

卑弥呼ってどんな人なの?

知ってます?卑弥呼ってどんな人だったんでしょうか。

これに関しては『魏志』倭人伝より、知識をお借りします

 

鬼道を事とし、能く衆を惑わす。

 

ここが超重要です。現代語訳するなら

女王は呪術を得意としており、人民を従えた。

となります。

 

卑弥呼は巫女として、神のお言葉を聴くことが出来たらしく、その言葉が政治的に権威を持っていたんです。

 

まあ今でさえ、地球滅亡の予言とか信じちゃうこともあるくらいですから、確かめようのない大昔なら「呪術えぐっ!!」ってなるんでしょうね。

 

他にも男弟が居たことや、卑弥呼の死後に壱与が女王となったことなど

当時の卑弥呼や邪馬台国の実情が書かれていますので、必ず目を通しておいてください。

 

そして現代語でいいので、

軽く説明できるようになっておくと強いですよ。

 

 

【雑談】邪馬台国って近畿なの?九州なの?論争

最後に軽く雑談をしたいと思います。

興味ないよって方は下記のまとめまで飛ばしていただいて大丈夫です!

 

少し前の5月29日に吉野ケ里遺跡石棺墓が見つかりましたね。

日吉神社が建っていて調査出来ていなかった「謎のエリア」から。

そしてこれがどうやら邪馬台国が存在していたとされる

弥生時代後期のお墓であるとのこと。

 

少し高い丘の上にあったことから

「身分の高い人間のお墓では?」と噂されています。

 

日本史で学ぶ卑弥呼のお墓箸墓古墳ですが、

「なぜこの箸墓古墳が候補なの?」と思いません?

そして、それは『魏志』倭人伝に記載されている

「怪百余歩(直径150メートルくらい)」が合致するからなんです。

ただし、記載されている方角(南)と違うので確定とは言えない。

 

方角だけ見ると吉野ケ里遺跡などの北部九州が当てはまりますが、こちらにあるお墓たちだと、その大きさが合致しない。

 

このような感じで、現状は『魏志』倭人伝に翻弄されている状態なんです。

そんな中見つかった石棺墓。中に入っている副葬物によって、日本史の教科書がかわるかもしれません。

どうなるんでしょうかね。

 

もっと話したいところですが、まとめなきゃいけないのでここらへんで。

失礼いたします。

 

今回のまとめ

このブログでは「弥生時代」のポイントについて

お話してきました。ここまでお疲れさまでした。お水でも飲んでください。

 

改めて今回のまとめをざっくりとお話しすると

①中国の歴史書の内容は触れておこう!

②古墳の名称は書けますか?どの地域か分かりますか?

③邪馬台国の卑弥呼って何者!?

でしたね。資料集を活用して再度確認をお願いします。

 

上記に関して「もうバッチリ!」という方も、

「ちょっと不安だなぁ」と感じた方もいることでしょう。

 

大事なのは

「現時点で完璧であること」でなく、

「今後改善しようと努力すること」

 

まだ6月です。

今後の取り組み次第で大きく道は分かれます。

このブログを見ているあなたの今日は、

それで大丈夫ですか。

 

今一度、問い直してみて下さい。

 

それでも胸を張って「今日は頑張った!!」

言える日々を過ごしていきたいですね。

 

最後に…

日本史には各時代を通して

数多くのポイントがあるのですが

ブログでお伝えできる情報量には限界があります。

 

「もっと多くの情報を知りたい!」

「もっと早く次の範囲のポイントが知りたい!」

と思ってくださった方は武田塾での特訓を考えてみて下さると嬉しいです。

 

担当講師をはじめとして様々な強みをもった講師が

あなたのペースや現状に合わせて、勉強のやり方を

考え、より良く効率的な勉強へと導いていきます。

 

志木校でもあなたの入塾をお待ちしておりますよ。

 

また日本史の勉強に限らず、

「受験について相談したい事/聴いてみたい事」

がある方は是非無料受験相談にお越しください。

 

勇気一瞬、後悔一生ですよ。

 

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