ブログ

【講師紹介】1浪で早慶快勝!勉強法の正解と誤り~失敗した現役編~

1浪で慶應義塾大学 経済学部 経済学科 合格!

こんにちは!

武田塾 鎌取校の車田です。

今回は講師紹介第6弾です!

田村

圧倒的な英語力とストーリー性を持たせた日本史の指導は生徒の”苦手”を”得意”に変える力があります!

現役時代の悔しい思いを乗り越え、「同じ悔しさをさせまい」と考える田村先生は人一倍勉強法んびこだわりと熱い想いを秘めています(*^^*)

間違った勉強法で受験期を過ごしてしまうと、入試を終えてとてつもない後悔に襲われるのですよね…。
(私は浪人でも間違えたので胸が痛いです(^^;))

今回は田村先生自ら綴ってくれた文章を前編・後編に分けてご紹介いたします♪

はじめに ~勉強法の正解と誤り~

高校時代、友達や先生に「絶対に一橋大学に合格できるよ!」と言われながらも法政大学しか受からず失意のどん底にいた僕が、両親を2週間かけて説得して浪人させてもらった結果、慶應経済、慶應商、早稲田社学にリベンジ合格し、現在、慶應義塾大学経済学部で幸せに大学生活を送るようになるまでの軌跡を話していきたいと思います。

怠惰な日々 ~好成績の落とし穴~

好成績だった頃

僕は中学時代、千葉東高校に割と余裕(合格最低点+20点ぐらい)を持って合格することができた。
そのため、高1の頃は中学時代の勉強を切り崩していくことで特に何の勉強をせずともクラスで上位をキープできていた。

定期テスト:10~15以内/40人クラス
進研模試:全科目偏差値63~67(学年順位30位内/360人)
東進模試:英数ともに偏差値65程度

このような数値に満足し、高1の頃はそれはもう遊んだ。
しかし、そんな怠惰な生活をしていても成績に問題がなかったので特に誰からも文句は言われなかった。

短期留学へ!

そうして遊び疲れたころ、「なにか面白いことをしてみたいな」と思い、校内で募集していたオーストラリアへの20日ほどの短期留学に申し込むことにした。
そして、その体験を通して、英語の重要性を再認識するとともに、シドニーという場所に大きな憧れを抱くことになった。
それを契機に、「海外で仕事するためには、英語ができなくてはならない」と思い、英語だけは真面目に勉強するようになったのだった。

英語以外の科目が急降下

高2に進級し、授業が難しくなり、かつ興味がない科目が増えたことで、急に英語以外の科目の成績が下がっていった。

定期テストのクラス順位も20位にまで落ち、模試の偏差値も各科目5くらい低下

それでも「たまたま運が悪かっただけ」という理由をつけて遊んでいたのだ。
その結果、成績は落ちるところまで落ちた。
そこまでいってようやく、「やらないとまずい」と思い、遊ぶのを自粛するようになった。

決意、そして狂い始める運命 ~”終わらせる”だけの勉強をするな~

オープンキャンパスへ

高2の晩夏、勉強することを決意したものの、未だに志望校は全く決まっていなかった。
そこで、まずオープンキャンパスへ行って大学を知ることにした。
とりあえず偏差値の高い大学を目指そうと思い、一橋大学、東京工業大学、大阪大学、そして東北大学を見に行った。
そして僕は一橋大学に心が惹かれた
国立駅からの銀杏並木や情緒あるキャンパスに魅了された。

だから、人に流されて選択してしまった理系から文転した。
その変更は、物理が全く分からず、数学のベクトルでつまずいていた当時の僕からしてみれば決して間違った判断ではなかった。

違和感のある「映像授業」

また、映像授業型の予備校が自分に合っていなく限界を感じたので、予備校を変えようと思った。
が、予備校の担任からの強い説得に折れ、かつ費用もかかったので、「自分のやりたい勉強はこうじゃない」と違和感を抱きながらもずるずると過ごした

今思えば、ここが人生のターニングポイントだったのかもしれない

そのまま高3になり、模試の志望校判定に一橋大学を書くようになったが判定はことごとく「D」。
その結果を見て「なんでもっと前から勉強しなかったのか」と激しく後悔すると同時に「もっとやらないと浪人する!」という焦燥感に駆られた。

しかし、高校は我が校のメイン行事である文化祭の準備で忙しく、その上、通っていた予備校では終わるはずがないほどに膨大な量の映像授業を受け、さらに「終わらせろ」と迫られる毎日を送り…。

結局、夏休みに入るまで、“学ぶため”ではなく“終わらせるため”に見るという、1ミリも役に立たない映像授業だけしかできなかった
「こんなはずじゃなかったのに」と常に思い悩みながら過ごす日々はとても辛かった。

崩壊と終点 ~参考書の間違った使い方を続けていた結果~

人より遅れた夏休み

受験の天王山とも言われる夏休みが始まった。
一橋大学を目指す受験生にとっては、春から夏にかけてやってきた基礎固めの総点検と過去問を解くための基礎+αを習得するための夏休み
でも、僕にとっては「固めるため」だったはずの“基礎”を「習得するため」の夏休み

そのどうしようもない事実を自覚した僕は、気が狂ったようにただひたすら参考書に取り組んだ
特に、苦手な数学に力を入れて毎日10時間近くやり、参考書を4冊は終わらせた。
夏休みが終わる頃には、自分の膝くらいの高さまで解き終わった参考書が積み重なった。
確実に、誰よりも勉強した自負があったし、自信もついた

結果が出ない模試

しかし、そんな自信をもって受けた夏明けの模試で僕は戦慄した。
一番勉強したはずの数学も、今まで偏差値68付近で安定していたはずの英語も全くわからなかったのだ。
何度考えてみても分からない、そして終了時間になる。
その時、これまでの自信や自負、プライド…その全てが崩壊していく、自分が壊れていく音がした。

勿論今はその理由が消化不良だったとはっきりとわかるが、当時の僕には心のゆとりがなかった。
ただただ自暴自棄になりストレスで毎日極度の吐き気と頭痛に襲われ、もう勉強することはおろか、普段の生活を送ることも困難になった。

今思い返してもあれは地獄だった。
勿論、塾の費用を払ってくれている親のために、それでも勉強をやめるわけにはいかないので、少しずつだが勉強した。

誤った参考書の使い方

ゆっくり勉強するようになって初めて本来の「参考書の使い方」の片鱗を体感した。
その時僕は後悔した。
また、今まで授業も参考書も“終わらせればいい”というような、いい加減な指示をしていた担任に怒りを覚えた。

参考書は“ただやればいい”というものではないのだ。
きちんと自分の身になって初めてやった意味がある。価値のある行動になる
もちろん、参考書の使い方や復習を調べなかった自分が悪いのでその怒りはお門違いであるのだが。

もう引き返せない、誰のためにもならない学習

そして、それに気づいた時にはなにもかもが遅く、僕の中でもう現役で「一橋大学に行くのは無理かもしれない」という考えが脳裏にちらつくようになった。
でも、今更引き返すこともできなかったので“「無理かもしれない」と思いながら勉強を進める”という、もはや誰のためにもならない日々が始まった。

みんなはセンター試験が近づいていることに焦っている一方で、一人だけその先に待つ“浪人”の恐怖に怯えながら勉強しているのは惨めに感じた。
そんな中でも無慈悲に時間はすぎて年が明けた。
一月になると全ての余裕がなくなって学校にさえ行かなくなった挙げ句、一人で国立駅まで行って放浪とし続けていた。

いざ本番

迎えたセンター試験の結果は酷かった。
特に数学は開始早々に分からなくなって手が震え、模試でのトラウマが頭をよぎり続けた。
合計で目標点を80点も下回った

でも、不思議と僕自身はそんなにダメージはなかった。
その上、そんな厳しい現実をあたかも当たり前のように受け止めている自分もいた。
そりゃそうだ、そんな予感はしてたんだから。
どうせ、来年もやるんだから。
だから、あの大げさなほどに悲しい顔をして慰めに来た担任の言葉など馬の耳に念仏だった。

でも、二つほど心にくるものがあった。
それは親の涙悲しそうな表情を必死に隠して僕にかける「また私立を頑張ろう」という励ましの言葉

しかし、情けないことに私立入試に挑むモチベーションがなくなってしまった。
最後の心の拠り所であった一橋大にもう”挑戦すること”も叶わないという事実は、心を折るには十分すぎた。

それでも、受験校の中でまだ“行きたい”と思えた慶應が終わるまでは勉強しようと思ったし、それがありとあらゆる人の期待に応えられなかった自分なりの罪滅ぼしだった。
そこからの2週間は慶應の過去問しかしなかった。

だから上智はどんな問題が出るかも分からずに入試に特攻した。
しかし、それでも英語と国語は善戦はした。
ただ、数学でまた手が震えた。
また解けなかった。また数学で落ちるのか。

そして、運命の慶應戦。
初戦の経済学部の英語の長文が難化していて、時間が大幅にかかりタイムスケジュールが崩壊した。
僕はまた落ちるんだ。

それでもなんとか気持ちを切り替えて次の商学部に臨んだ。
英語と日本史は簡単に解けた。
だから解いていて気持ちよく、調子に乗ってケアレスミスを重ねてしまった。
それでも75%は確保でき、ここままいけば合格はつかめそうだった。
しかし、僕の前に再び立ちはだかったのは数学だった。
しかも大幅に難化していた。

本当に一問も解けなかった
周りが必死にペンを動かしている中、一人金縛りにあったかのように固まっている自分が惨めで惨めでしょうがなく、涙さえこぼれてきた。
数学でまたまたまた落ちるのか。
もう二度と数学なんてやるか。

こうして、慶應戦が終わった。

それ以降は勉強もせずにただひたすらに浪人や予備校について調べまくった。
一応千葉大学を前期後期ともに受けたが、もうモチベーションもないし、行く気もしなかったので特に考えもせずにテキトーに書いて終わらせて、45分近く机に伏せていた。

もちろん、慶應も千葉大学も落ちた。
そしてまた応援してくれた人を泣かせた、期待を裏切った
ただ、僕はその悲しみを表現する気力も失せて無表情のままだった
これが、高3夏に勉強を間違えた、高3春に忙しいことを言い訳にした、高2の秋に自分で「違う」と思いながらも予備校を変えなかった僕の物語の終点なのか。

ちなみに余談だが、後日成績開示が届き、あと9点で慶應の合格ラインに届いていたことを知った。
そう、全然解けなかった数学であと1~2問解けていたら受かっていたのだ…。

 

【浪人編へ続く…!】

失敗した現役編 まとめ

田村先生、ありがとうございました!
ここからは田村先生が現役時代に失敗してしまった要因をまとめていきます!

詰め込んだ「映像授業」

映像授業に限界を感じつつも、そのまま受講し続けてしまったこと。
”授業”は本来「理解」の助けとなるものです。
その「理解」を以て「問題を解く能力」を身に付けていく必要があるのです。

つまり、”授業”で「なるほど、わかった」と理解した後に実際に自分の手を十分に動かして、その問題や類題を自力で解けるようにする時間が必要なのに、それがなかった。

しかし、学校生活追われ、「映像授業」を”見る”ことのみに必死になってしまう例は後を絶ちません。
なぜなら予備校の先生が「合格するためにはこの講座も取らないとダメだよ」と、放課後の時間いっぱいになるほど、後から後から受講を勧めてくるからです。

浪人生であればそのサイクルが上手くいくかもしれませんが、現役生で復習の時間まで確保するのは相当難しいことです。

誤った参考書の使い方をしていた

”がむしゃらに参考書に取り組む”。
とても良いことのように聞こえますが、一歩間違えるとせっかく頑張ったのに、内容が身に付かないままとなってしまいます。

「評判の良い参考書」「オススメの参考書」はたくさんあります。
だからといって、そのどれもに手を付けようとするのは非常に危険なのです。

参考書を取り組む上で大事なことは以下の通りです。

①自分に必要な参考書を絞ること
②初見で「できる問題」「できない問題」を区別すること
③「できる問題」は解説までできるかどうかの区別もする
④「できない問題」「できるけど解説までできない問題」は解法を読んで良く理解する
⑤理解した上で、もう一度解法を見ないで解答を解法通りに再現できるようになるまで取り組む
⑥解答の丸暗記ではなく、他人に解説できるようになる、解法のプロセスをパッと導き出せるようになるまで⑤を行う

…これが参考書の全問でできるようになったら、その参考書は完了です。
しかし、それをせずに「1周やっただけ」・「わからないところは解説を読んだだけ」・「一度やり直してみただけ」・「何度も解いたが、丸暗記になってしまっている」…そういったケースが非常に多いのです。

 

*********

いかがでしょうか?
思い当たる部分があれば必ず「正しい学習」に変えましょう!
気付いた時がチャンスです!

その他、受験に関して困っていることがあればぜひ一度武田塾の無料受験相談にお越しください!
一人ひとりのお話をじっくり伺い、しっかりアドバイスさせていただきます!

 

〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●

「入塾全生徒の88%が偏差値+11以上上昇」

「上位65%の生徒が偏差値+15以上上昇!」

「入塾後8カ月で偏差値が平均+19.6上昇しています!」

日本初!授業をしない武田塾 鎌取校

〒266-0031
千葉県千葉市緑区おゆみ野2丁目4-10
喜栄ビル 201号室

JR外房線 鎌取駅 徒歩3・4分

関連記事

【10か月で東大逆転合格した人に学ぶ】短期間で合格する方法とは?

「10か月で東大に合格した人」の勉強法は、合格を勝ち取るためにとても効率良く、凡人でも意識するべき「本質」を突いたものだ

【講師紹介】早稲田大学現役合格!基礎から半年で仕上げた方法とは

高1の時からあんなに映像授業を詰め込んで受講していたのに、 いざ参考書の問題を解いてみると、基礎のレベルから解けない…

【大学受験】受験勉強はいつから始める?高1・高2必勝法!

今回は難関大学を考えている人必見の、受験勉強を始める時期についてお話ししたいと思います。

あなたに合った勉強法を教えます!

無料受験相談に行ってみる