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[文学部志望受験生向け] 文学研究はサイエンスか否か

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どうも、武田塾垂水校 教務担当です。今回は、小説好きで文学部を検討している受験生に向けて書いていきたいと思います。ターゲットが限定的ですが悪しからず。また、例のごとく私の個人的な意見ですので、軽い気持ちで読んでいただきたいのですが、少し難しい話になるかと思います。最後までお付き合いいただければ幸いです。

文学専攻の授業

さて、文学部を目指している受験生の皆さんの中には、趣味が読書という方が多くいらっしゃると思います。また、純文学が好きだという方も、一定数おられるでしょう。「文学が好きだから文学部へ行きたい」、そう思うのは自然なことだと思いますし、私自身がそうでした。では、「文学」とは一体何なのでしょうか?耳慣れた言葉ですが、意味を問われると難しいですよね。

私は文学部に入学して授業を受けていましたが、「文学とは何か」ということに関して習った記憶がありません。2年生の後期に英米文学に専攻を決めたのですが、実際の授業では具体的な事柄ばかりで、いわゆる「文学論」といったものを個別に教わる機会はありませんでした。
私の受けていた専攻の授業は大まかにこんな感じです↓

①アメリカ文学史
②イギリス文学史
③英米文学演習
④英語学(講義)
⑤英語学(演習)
⑥英語コミュニケーション

①②は講義形式の授業で、それぞれ英米の小説の歴史について教わります。③は実際に①②で習った作家の小説を英語の原文で読むもので、大変ではありますが小説好きとっては、楽しさの方が勝るものになると思います。④⑤の英語学は、言語学の英語分野と捉えてもらって問題ありません。⑥はそのままです。英語の運用能力を高める実践練習です。

これを見ていただいたらお分かりかと思いますが、「文学論」を教わる授業はない上に、実際の作品と接するのは③だけになるんです。そんな訳で私は、「文学とは何か」という問いに対する答えを、自分で見出すほかありませんでした。

文学研究とは何か

結論から申しまして、私はこの問いの答えを見出すことが出来ませんでした。実際に『文学とは何か』という本を読んだりもしたのですが、しっくりくる論理ではなかったのを覚えています。ですが、「文学研究」とは何かということについては、多少なりとも自分なりの考えを持つことが出来たかと思います。「文学」という前提概念が分からないのに、「文学研究」という具体的な方法論はある程度分かるなんて少しおかしいと思われるかもしれません。ですが、「人の一生とは」という問いに対する答えは定まっていないけど、確固とした「己の生き方の指針」があるという状態が珍しくないのと同様、概念そのものを知らずとも、その解釈方法が定まっている状態は実際に存在し得るものだと思います。

この「解釈」という行為が、文学研究の土台を構成する一つの大きな要素であると私は思っています。では、文学研究において「文学作品を解釈する」とは、具体的にどのような行為を指すのか。もしかすると、これを読書感想文を書くようなものであると考える方がいらっしゃるかもしれませんが、読書感想文と文学研究論文では、形式云々以外に根本的な部分で大きな違いがあります。

読書感想文を一言で言い表すなら「文学作品」です。何の制約もなく、本を読んで思ったことを書く。これは、作家が己の世界観を小説という手段を用いて表現するという行為と、根本的に一致していると思います。本を読んで何かを感じるには、その人の中に「己」が無くてはなりません。具体的には自分の主義・主張であったり、経験そのものであったりが、この「己」に当たります。読んだ本の中にある世界観や主張が、「己」にぶつかったり、調和したりすることで「読書感想」が生まれます。ですから、「己」を持たない水のような人が、本を読んでもスルスルと頭を通り抜けてゆくだけで、感想が生まれることはありません。

対して、文学研究論文は「己」と「論理」を求められます。読書感想文同様、「己」は必須です。これがなければ、前述の読書感想文と同じように、解釈が生まれることがありません。ここが、理系分野の学問研究との大きな違いです。実験のデータに基づいて結論を導くという手法を採る理系の研究では、「己」は結論を導く過程ではなく、実験を計画する段階で用いるものです。ですが、文学研究にも客観性は求められます。情報が正確であるということは勿論、論理に矛盾があってはなりません。ですが、私が最も重要であると考えるのは「結論ありき」であってはならない、ということです。
誤った情報を用いず、論理的に、とある文学作品の構造を解釈した論文を書いたとします。ですが、それが当の作品を読んで感じた個人的な構造解釈を基軸として、それを補完・肉付けするために論理を後付けをしたものであれば、それは研究論文ではありません。文学作品の解釈には「己」が必要ですが、研究論文の論理は情報から導かないといけません。「己」が大きく関わるのは、その論理と「作品を読んで感じた解釈」の差をさらに解釈して、結論に結び付けないといけないからであって、自分の都合のいいように論理を構築するためではありません。

文学研究はサイエンスか否か

ようやく、記事タイトルの内容に辿り着きました。「文学研究はサイエンスか否か」
ここまで読んで下さった方であれば、もうこの問いに対する私の見解は理解していただいていると思いますが、しっかりと述べておきます。文学研究はサイエンスです。学問の一分野として、文学があり(学問としてではなくても文学は存在するかもしれませんが)、その実践たる文学研究は客観性を排した解釈ではなく、科学としての客観性・整合性を求められるものであるのです。

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