皆さんこんにちは。
青森市で大学受験合格を目指すなら武田塾!
武田塾青森校です。
15秒で読む!さくっと説明!武田塾青森校!
「授業をしない」という独特のメソッドで、E判定からでも逆転合格を目指します。
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このような独自の方法で毎年、難関大学合格をたくさん出しています。
今回は青森校の校舎長である
私自身
について知ってもらおうと思います。
初めに
武田塾青森校のウェブサイトにきてくださった皆様が、
実際に校舎に来ていただけるまでに少しでも私のことを知っていただけたら
という思いからこの記事を書くことを決めました。
私がどんな人物か知っていただき身近に感じて来校していただきたいです。
基本データ
名前: 佐藤政臣(さとう まさおみ)
出身: 青森県青森市
生年月日: 1991年7月1日
血液型: B型
身長: 180㎝
体重: 非公表
最終学歴:東北学院大学法学部法律学科
得意科目:社会、数学(中学まで)
趣味: Magic: The Gathering
ここからは、時期別に分けて
私が生まれてから今に至るまでを
ゆっくりとお話していきますね。
生誕~幼稚園
1991年7月1日に青森県青森市にて生を受けました。
予定日通りに生まれ、これといったエピソードもなく
順調に産まれたそうです。
その後、すぐに青森県八戸市に引っ越し4歳まではすくすくと成長。
よく立ち歩いていたそうで
3歳くらいで車に轢かれそうになっていたそうです。
4歳の頃に青森市に戻ってきました。
その後、幼稚園に入園し遊びまわっていました。
トランポリンから落ちて骨折したのがこのころです。
めちゃくちゃ怒られたのを今でも覚えています。
小学校編
青森市立新城中央小学校に入学しました。
当時は1学年150人くらいいるマンモス校でした。
1年生の頃に川崎病という病気にかかったのは今でも覚えています。
小学校初めての夏休みが入院してなくなりました。
そのころからか、身長が伸び始めて
学年平均+10㎝高い状況が常に続いていました。
当時遊んでいた近所の友達からは
高身長に身体能力も期待されて
熱心に部活に誘われるようになります。
100m走は学年でもTOP10に入り、ドッヂボールもそこそこ。
サッカー部とバスケ部から誘われた結果
野球部に入りました。
どっちの友人とも仲が悪くなりたくないので…
という消極的な理由でした。
このころから公文式に通い始めます。
国数英の3科目を毎週火木にやっていました。
先取り学習で6年生までで中2内容まで進んでやめました。
中学校では部活を優先させたい、という安易な理由でした。
先取りすることの重要性
と
説明なしでがむしゃらに解くのは難しい
という壁で中3内容までは進めませんでした。
そして、小4の後半で転校します。
青森市立浪館小学校に転校しました。
ここでも野球を続けましたが、ベンチに入るのがやっとでした…
当たればデカいが当たらない。
ファインプレイは多いが、イージーミスも多い。
まあ、レギュラーにはなれませんでした。
陸上ならよかったかもしれませんね。
新しい友人たちとも出会い
ベイブレードやミニ四駆、遊戯王、デュエル・マスターズ
といった遊びにはまっていきました。
そんな、どこにでもいる田舎の小学生でした。
中学校編
中学校では公文式での先取りもあり、授業も宿題もなんとなくできていました。
ですが、最初のテストで399点/500点という結果になります。
ショックでした。
自分はできる方だと、何の疑いもしていなかったもので
勉強が嫌いになりました。
ここでちょっと勉強から離れた時期もありました。
そして、部活優先でやめていた公文式から個別指導塾へと移ることになりました。
塾を選んだ理由に明確なものはありません。
当時好きだった子が通っていたから程度の理由です。
校舎が違ったんで塾で会うことはなかったんですが…
そこで430点~450点くらいをウロチョロする生徒になっていきます。
塾のおかげで記憶することに対して強くなっていったことが点数アップの要因でした。
これが高校での悲劇を生むとは知らずに…
2年半、生徒会と応援団の活動もしつつ
成績は主要5科目のみオール5でした。副科目は聞かないでください。
学校では特に社会と理科の評判がよく、受け答えがよいという評判だったため
私立高校推薦入試の学内選考の際に
「社会と理科なし面接なしの高校選ぶのはバカなんじゃないか?」
といわれるほどでした。
私立の推薦は落ちて、
なんやかんやあって
私立高校に進学しました。
高校編
無事に県外の私立高校に合格した私は
最初の定期テストがワースト2位でした!
個別指導塾のおかげで暗記系に強くなった私は
「暗記すればどうとでもなる」
という過信の元、どうにもならない成績をたたき出しました。
公式は全部暗記したらいい → 使えなければ意味がない
→ 一つ覚えれば方程式のように使えば代用できる
→ 公式の証明が理解出来ていないので忘れたら使えなくなる
英語も重要構文を暗記したらいい → 文法が正確に答えられない
→ 訳の仕方が甘い
などなど、いろいろな失敗をしました。
その後は夏休みの勉強や友人たちの協力もあり、
努力で順位を50番くらい上げたりして、最終的には学内で真ん中にいました。
ハンドボール部に入部し、眼鏡をしているのにキーパー志望だったり
(眼鏡が折れました)
27㎞歩く遠足で友人を置いてけぼりにしたり
寮の私物の漫画本が全巻持っていかれて、次の日に全巻きれいに戻ってきたり
なんだかんだで高校生活を楽しくはすごしていました。
そして、学内で真ん中だった
私は指定校推薦を狙い、友人に敗れ一般受験に回り
見事、落ちました。
浪人編
指定校推薦で友人に敗れた私は
もう勉強したくない
という気持ちでいっぱいでした。
現役時代は↑のような状況で
なんか勉強がうまくいっていない気になっていました。
浪人生になった直後の模試でも惨敗し
1年間、今の学力を維持したら合格できる大学を探し始めました。
これが人生の中で1番の失敗だったと思いています。
学習塾に就職してから気が付きました。
「1年ちゃんと勉強したらいくらでも行ける大学はある」
逆転合格できる状況を見逃して、現実から逃げていたんだと思います。
なので、何の成功エピソードもなく、一般受験で母校に合格しました。
大学編
学部だけはやりたいことに進めた私は
教養科目に興味がなさ過ぎて、1回生の前期が目も当てられない成績でした。
浪人時代で怠け癖がついてしまっていました…
専門科目は落とすことがなっかたため、教養を取りつつ
サークルで遊びつつ、サークルの代表になりつつ
先輩と飲みに行ったり、友達と勉強したりと
一般的な大学生として、就活に臨むタイミングでした。
「どうして法律を学ぶのか?」
この疑問にぶつかり、勉強が手につかなくなりました。
論述はできる、レポートもちゃんと提出してる、ゼミで判例検討してよりよい運用を考える
一般的な大学生はできていたと思います。
でも、毎日疑問にぶつかって答えが出せずにいました。
自分自身の根本的な部分に答えが出ないと気持ち悪くないですか?
これが3回生のころの出来事でした…
今回はここまで
私が教育業界に就職しようとしたのが大学4回生の後半。
この疑問に答えが出たのもそのころでした。
長くなってしまったので
今回はここで終了!
次回「大学卒業と教育業界編」
を不定期で更新していきます。
この記事を読んでいただいて
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