武田塾青葉台校講師のIです。
今回は現役生時代について細かく語っていきます。
高校1年から2年
通っていた高校は、「神奈川県立川和高校」です。
高校一年生から二年生にかけては
ほとんど毎日部活漬けの生活を送っていました。
ガタイがいいほうではないですが
ラグビー部に入部していました。
非常にきつくて、いつも体のどこかが筋肉痛でした(笑)
ちなみにポジションは、
ウイングをやっていました。
朝練をし、授業はほとんど寝ていて聞いておらず、
放課後部活をして疲れ切って帰る。
授業の予復習なんて
全くと言っていいほどしていませんでした。
高校二年生の春から武田塾に通っていましたが、
入塾当時の偏差値は、
英語 48
数学 59
国語 52 で、
数学が少しできる程度でした。
学校のテスト期間には
学校で配られた問題集を一夜漬けして
テスト後の課題提出に間に合わせていたので
身についてはいませんでした。
当時やっていた参考書は
【数学】
→『基礎問題精講』(ⅠAⅡB)
【英語】
『ターゲット1900』
『大岩のいちばんはじめの英文法』
からのスタートでした。
武田塾生として、
極めて一般的な、
”基礎レベル”からのスタートです。
しかし最初は
4日勉強2日復習のペースを守れず、
成績は高校320人中200位くらいを
うろうろしていました。
私が東工大を目指した理由ですが、
特に深い理由はなく、
純粋な憧れでした。
高校二年くらいの時から抱いており、
目標は高いほうがいいと思っていたので
何となく目指していました。
高2終わり時点での参考書の進捗ですが、
【英語】
・ターゲット1900の1500までは大体覚えた程度
・速読英熟語も大体覚えたくらい(80%台)
・『入門英文解釈の技術70』が終了。
【数学】
基礎問がⅢまで終了。
日大レベルの「段階突破テスト」は、
70%をギリギリ2回とって合格できる程度でした。
高校三年
高校三年の春、私は部活を辞めました。
理由としては
・受験に集中したかった
・ラグビー部は引退が遅い(高3の10月半ば)
・ラグビーが下手なのでやる気がなくなった
等がありました。
しかし部活の人数が少なかったため、
ものすごく揉めました。
結局辞めることには成功しましたが、
心の中にモヤモヤは残り、
これに一年間苦しめられることになります。
辞めたことによって
1日3時間に満たなかった勉強時間が
6時間ほどに増えました。
春の間はほかの受験生は
部活をやっていますから
相対的に成績が伸び、
学年15位まで上がりました。
ただ、そこで
「この勉強量で15位まで行けるならこのままでいいか」
と
調子に乗って失速してしまい、
ほかの受験生が部活を辞め
勉強にシフトしていくにつれ
ずるずると偏差値は下がっていきます。
夏から秋にかけては勉強に身が入らず、
ずっと
「自分がなぜ部活を辞めてしまったのか」
という考えごとをしていました。
引きずりすぎですね!
塾の自習室に行ってはいましたが、
集中力はなく
ちょっとやってすぐに休憩していました。
高3の7月から10月にかけてでは
【数学】
『国公立入試問題集canpass』
↓
『入試の核心』
【英語】
『英語長文ポラリス2』
↓
『国公立入試問題集canpass』
化学は10月時点で
『重要問題集』をやりながら
物理は、『名問の森』を解きながら、
たまにセンター試験の
過去問を解いていました。
現役時代の反省点としては、
日々の課題をこなすだけで、
確認テストを80%ギリギリで、
復習が甘いまま
参考書を進めてしまったのが
良くなかったと感じています。
武田塾のルートはすごくよく練られているので、
受験生の皆さんは、
1冊1冊、自分のレベルにあった参考書を
「1冊ずつ完璧に」していきましょう。
1冊の完成度を上げていけば、
必ず成績は伸びていきます。
(武田塾の講師になってみて
すごく思うことなのですが、
東京一工や旧帝大はもちろん
早慶やマーチレベル志望だって、
合格する人は確認テストを
コンスタントに95%以上をとってきます)
私はこの時期から近所の神社に
お百度参りをし始めます。笑
雨の日も風の日もお参りをしていました。
祈る内容はもちろん
「東工大に合格しますように」
冬に入ってからは
過去問をひたすら解いていました。
ですが、そもそもの勉強時間や熱量が
ほかの人より劣っていたために
だいだい受験校につき
赤本の半分くらいしかとけず、
しかも自分で
一問ごとに取るべき問題、
捨てるべき問題の取捨選択が
甘かったので
解きっぱなしで
身についていませんでした。
過去問演習は、復習が命です。
赤本に載ってる年度でいいので、
弱点分析、課題発見
↓
苦手分野は参考書に戻って復習
のサイクルを確立させましょう。
こうして1月になり、
センター試験を迎えます。
※私の現役時代は、
センター試験の最終年度でした。
【現役時代のセンター試験の結果】
英語R 155/200
英語L 36/50
国語 178/200
数1A 68/100
数2B 76/100
物理 75/100
化学 64/100
現代社会 70/100
合計 722/950(76%)
※センター試験時代は、
英語リーディング:200点満点。
英語リスニング:50点満点でした。
自分の実力から見れば
そこまで低くはありませんでしたが、
東工大受験生にしては
理系科目が異常に低い結果になりました。
しかし東工大をあきらめきれず、
出願することにしました。
ここで私は悲しいことに
センター試験が終わった安堵感から、
勉強時間を減らしてしまいます。
二次試験が始まる時期になっても、
勉強時間は少ないままでした。
理科大では英語が足を引っ張った感覚があり、不合格。
早慶は全く手ごたえがありませんでした。
東工大の二次の結果は
英語 70/150
数学 90/300
物理 55/150
化学 55/150
合計 270/750(36%)
でした。
神社で祈った甲斐もなく
合格ラインは390点ほどですから
だいたい120点差で落ちています。
以下、すべての受験の結果です。
【私大一般入試】
東京理科大学 理学部応用化学科 ×
慶応義塾大学 理工学部応用科学科 ×
早稲田大学 先進理工学部 応用科学科 ×
芝浦工業大学 システム理工学部 生命化学科 ○
【国立前期】
東京工業大学 生命理工学院 ×
【国立後期】
横浜国立大学 理工学部 化学・生命系 ×
横国の受験の時には
「ボルツマン定数」
が何か分からず大問一つすべて落とし
自分にドン引きしたのをよく覚えています。
落ちた時は分かっていたなぁという思いが強く、
それほどの悔しさを感じることも有りませんでした。
悔しさすら感じることができないというのは
それだけ本気になれていなかったということです。
嘆かわしいですね。
受験がすべて終わった後に、
部活を続けた友人が
東京理科大に合格したと聞いたときは
すさまじい無力感に襲われました。
こうして、芝浦工業大学に
合格をいただいたものの、
東工大への夢をどうしても捨てきれず
浪人することを決意します。
浪人生編へ続く…