武田塾2016年度合格実績・合格速報

【早稲田大学・法政大学・日本大学合格】偏差値2倍の逆転合格!早稲田大学へ

【プロフィール】

茨城県ひたちなか市在住、県立水戸桜ノ牧高等学校卒(陸上部所属)
浪人し、偏差値34.1から早稲田大学への逆転合格を目指す

【出身高校の偏差値と得意科目、苦手科目】

進学校である出身校の偏差値は61。しかし成績はほぼビリだった。

《得意科目》:日本史

昔から歴史には興味があった。一緒に住んでいるお祖父ちゃんが、太平洋戦争に出征している。子供のころからそんなお祖父ちゃんの戦争の思い出話を聞かされていたから、明治、大正、昭和の近代史が好きになった。
だからなのか、僕の思想もわりと保守的で右寄りだと思う。テレビの歴史ドラマもよく見ていたし、『あさが来た!』などの朝の連ドラも好きだから、欠かさず見ていた。
ただし単純すぎる暗記は苦手だった。早慶レベルぐらいの受験に出題される文化史も、あまり好きでなかった。それに比べると通史は、流れもあって理解しやすかった。

《苦手科目》:国語

現代文が特に苦手で嫌いだった。その理由は、いくら勉強しても成績が伸びないからだ。勉強してもまったく手ごたえが感じられなくて、ノレンに腕押し状態で、常に不安だった。どうしたら国語力が伸びるのか、受験勉強の終わった今でも分かっていないようだ。

【合格した大学の受験科目】

国語(古文・漢文・現代文)、英語、日本史

【勉強時間】

浪人してからは、1日14時間は勉強していた。ただし大切なのは、その中身と密度で、高校時代も含めて空回りも多かったと思う。

【受験生活のパターン】

朝7時起床、朝8時から10時までは苦手な現代文と英語の長文に取り組んだ。朝はまだ脳みそが起きてないので、暗記を伴う勉強は避けていた。しかし毎朝エンジンがかからないのは、寝不足だったからなのかもしれない。

毎日、母におにぎりを二つ作ってもらって、それを持って武田塾水戸校へ出かけた。
ランチの後の15時ぐらいに15分間だけ仮眠することもあったが、そこからはぶっ通しで武田塾水戸校の自習室が公式的に閉まる(笑)ラストの22時まで勉強した。夜になると暗記力が高まるという話を聞いたことがあるので、夜になってから英単語の暗記や、日本史に取り組んだ。

睡眠時間は、深夜26時から朝7時まで、毎日5時間の短時間睡眠で浪人生活を乗り越えた。それぐらいやらないと、志望校合格は不可能だと思えたし、不安でもあった。
朝起きる時間は一貫して7時にした。これは生活のリズムを崩さないために必要だと思っていたからだ。

高校時代の自分

水戸桜ノ牧高校は偏差値61の公立高校。しかし僕の成績は、ほぼビリだったから、偏差値61にはほど遠かったかもしれない。
陸上部に所属していて、短距離走選手だった。100メートルを11秒3程度で走れたし、200メートル走にも取り組んでいた。小学校のときから走るのはそこそこ早かったが、陸上部に入ったのは、走るのが好きだったからというよりは、球技がまったく苦手で、ほかに入る部活がなかったからだ。

大学受験対策の勉強を始めたのは割と早くて、高校2年の冬からだった。それまでの成績が悪かったので、少しでも早く受験勉強を始めないと、どこの大学にも受からないと焦っていたからだ。
このように周りより一足早く受験勉強を始めたものの、部活との両立さえ上手くいかなかった。部活が終わって、まずは基礎的な暗記から始めようとしても、すぐに眠くなってしまって途中で投げ出すようなことを繰り返していた。
このままじゃまずいと思っていても、ズルズルと同じような生活を続けていて、当然のように浪人することになる。それほど大きな負担もなかったとはいえ、部活の陸上部も高校3年の夏まで続けていた。

武田塾との出合い

当然のように浪人が決まったあと、予備校をどこにするかと迷っていた。最後まで候補に残っていたのが河合塾と早稲田塾で、悩んだ末に河合塾にしようと予約した。
そんなときに水戸駅で偶然、武田塾の看板を見かけた。武田塾の名前だけは聞いたことがあったが、水戸にもあるのかと初めて知った瞬間だった。そのとき看板に、「授業をしない!」と書いてあるのが新鮮で、さっそく電話をかけてみた。

看板どおり授業をしないで、参考書で勉強することが基本で、それを管理するために武田塾があるのだと説明された。
中学のころから参考書を使って勉強する個別指導塾に通っていたので、理に適っているなと思って、改めて受験相談を受けることにした。
受験相談のときには川崎校舎長が相談に乗ってくれたのだが、勉強のルートが具体的で、イメージも沸いた。話も明確だったので魅力を感じた。もちろん武田塾への入塾は即断即決、河合塾はドタキャンした。

成績はどう変わった

幾度も模擬試験を受けたが、早稲田大学はずっとE判定だった。模試を受けた数だけE判定だ。最後の模試もE判定だった。
それでも模擬試験ではずっとE判定だったとはいえ、受験勉強の仕上げ段階で、早稲田大学の過去問を解いたときには手ごたえがあった。
偏差値の方はというと、浪人が決まったころ、2015年の3月の偏差値は34.1だった。その1年後、早稲田大学に合格したころには65まで上がっていた。偏差値を2倍近く上げて、逆転合格を実現したことになる。
そもそも現役時代の成績は、高校でもいつもビリのちょっと上をウロウロしていた。それを考えると、模試を幾度も受けていたなんて、頑張っていたなと思う。
武田塾に入ってからは、現役時代には考えられないくらいのペースで成績が上がっていった。まさに逆転合格を実現させてくれたのが武田塾だった。

武田塾で印象に残ったこと

川崎校舎長の話がいつもめっちゃ面白かった。でも……、ここには書けないような話ばかりだった。
ちょっと紹介すると、うまくいく夢のある話、将来の職業の話、こうしたら上手くいくという具体的なアドバイスなどなど。
落ち込んだら川崎校舎長のところへ行って、雑談すると気がまぎれる。勉強で疲れたり、落ち込んだときは、川崎校舎長に雑談の相手をしてもらって気分を紛らわした。将来、商社に入ろうと進路を決めたのも、川崎校舎長の話を聞いたからだった。
ほかの先生たちも個性的で、明るい先生が多かった。僕が陸上をやっていたので、同じように陸上をやっていた先生とも話が合った。英語の(バラバラの単語を並べ替える)整序問題が苦手だと相談したら、それに対応した参考書を一緒に書店で探してくれた。

スランプについて

現代文を勉強するたびにスランプに陥った。そのたびに、どうしたらいいかと川崎校舎長に相談した。するといつも川崎校舎長から、的確なアドバイスが返ってきた。
例えば、「現代文が読めないのは、難しい言葉を簡単な言葉に置き換えることができていないからだ」「難しい言葉が出てくるたびに辞書を引いて調べたらいいよ」などと言われた。
川崎校舎長は理系なのに、日本史や国語の勉強法も指導できるスゴイ人だ。精神的なフォローも完璧で、本当に辛くてネガティブな感情に飲まれそうになっているときに、いつも支えになってくれた。

受験直前期の心構え

浪人中の受験直前期は、本当に辛かった。それでも川崎校舎長に、「今ここで戦えなかったら、一生負けちゃうよ」と言われて目が覚めた。最後まで油断しないことが、特に大切だと思う。
武田塾に出合うまでは、いろいろな参考書に手を出して、途中で辞めることの繰り返しだった。一冊の参考書を、とことんまで完璧に仕上げる癖を付けることが大切だ。

早稲田大学への進学を希望したわけ

正直なところ、東京で一人暮らしがしたかったからだ。でも別に、実家を出たかったわけでない。親を含め、家族とも仲がいい。
人生経験として、一度くらいは一人暮らしをした方がいいと思っていた。そして新たな気持ちで勉強したいと思った。
しかし早稲田大学の人間科学学部は、都心から離れた所沢かぁ……。

合格した喜び、将来の夢

今までの人生で、一番嬉しかった。もしかしたらこれからの人生を含めても、一番嬉しい出来事かもしれない。
合格を知って電話したのだが、たまたま母が仕事中で電話に出られなかった。二番目に父に電話をかけた。次が川崎校舎長に電話で合格を知らせた。
将来は、総合商社で働きたい。世界中を舞台に仕事をしたい。いろんな所に行きたいし、目新しいものを見るのも好きだから、日本では体験できないことを体験したい。
文化の違いにも触れたい。どこの国へ行っても、その国の言葉で会話を交わし、その国の美味しいものを食べて、その国のキレイな女性にあったり、その国の歌を歌ったりする商社マンになりたい。
どこの国に赴任しても、付いて来てくれるお嫁さんも、できたらいいなと思う。

これから受験される方へ

特別な才能があるなら勉強しなくてもいいと思いますが、そうでない限りは、勉強して良い大学を出た方がいいと思います。
最後まであきらめないで勉強することが大切です。そして自分に甘くならないことです。最後まで必死に頑張ること。けっして自分には無理だと思わないことが大切だと思います。

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