こんにちは、講師の松下太一です。
今日は少し、自分の受験生時代を振り返ってみようと思います。
元々勉強というものをほとんどせず小学校中学校では、宿題を出さずにいつも叱られていた僕がなぜこんなにも勉強したのか、今思うと少し自分でも疑問に思います。
僕が受験において最もやる気をもらったのは、中学の頃の同級生でした。
その子とは小学生の頃から仲が良く、良きライバルでした。
しかし中学校二年生ごろから徐々に成績に差がつき始め、徐々に徐々に差を広げられて行ってしまいました。
中でもぼくは英語が全くわからず、「なぜ日本人なのに英語を学ばなければならないのか」と考える日々でした。
そして高校受験が訪れ、その同級生は地域で一番の進学校に進み、僕は家から一番近い偏差値50前後の無名の公立高校に進学しました。
ある日その同級生からこう言われました「その高校じゃいい大学なんていけないでしょw」
この一言で僕の勉強心に火がつきました。「絶対あいつよりいい大学に進学してやる!」そう決意し、僕の受験勉強はスタートしました。
僕は来る日も来る日も勉強を続け、特に苦手だった英語に関しては毎日単語、文法、音読を繰り返しました。
しかし高校二年生の秋になっても、センター模試で半分も取れない日々が続き、勉強しても意味がないんじゃないかと思う時もありました。
そんな時自分を奮い立たせていたのは同級生のあの言葉でした。
勉強を続けていたある日の模試で、前回得点90点だった所から急に160点にヌルッと点数が上がりました。
僕はこの瞬間をヌルッ点と呼んでいます。このヌルッ点と言うものは、勉強を正しい方法で頑張っている人に突然訪れるのです。
受験勉強を頑張れば頑張るほど、合格発表の日、自分の番号が掲示板に書かれていた時の喜びは忘れられない人生の宝物となります。
また、塾で仲間とともに勉強していた日々も今となってはかけがえのない時間だったと感じます。そして、自分のやる気を出させてくれた同級生にはとても感謝しています。
医学部というとお受験をしてきた医者や社長の息子さんなど幼い頃から勉強ばっかりしている子しかいないイメージかもしれませんが、決してそんなことはありません。
偏差値50前後の高校ですら、10番にも入ってなかった僕でも合格することができたのです。
受験勉強ほど自分の努力が正当に評価され、自らの手によって己の人生を変えることができるチャンスはありません。
是非武田塾佐賀校で未来を変えてみませんか?
武田塾佐賀校 講師 松下太一