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ロシア・シベリア鉄道の思い出 part1 -世界一長い鉄道の旅-

みなさんこんにちは。武田塾太田校です。

昨今、“ロシア”はある意味禁句になってしまうほどの勢いで、全世界から排除されています。大変残念なことですが、ロシアという国が現在行っていることを客観的に判断した場合、許されるものではないので今の状況も仕方のないことでしょう。
しかし、ロシアという国に長く住んできた私にとっては、いつかまた帰ってみたいと思っていたその願いは叶いそうもなくなってしまいました。

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ロシア帝国の帝都サンクト・ペテルブルク

私は学生時代にロシア連邦のサンクト・ペテルブルクという街に住んでいました。ここはロシア第2の都市で人口はおよそ500万人。世界で最も北に位置する100万都市でした。1917年のロシア革命まで存在したロシア帝国の帝都としてバルト海の最深部に鎮座し、ピョートル大帝が築いた『ヨーロッパへの窓』として、またかつてのロシア海軍最強のバルチック艦隊の本拠地として長きに渡り存在感を示してきました。
今はプーチン大統領の出身地として再びその存在感を増しており、クレムリンの中枢部にもこの“ペテルブルク派閥”が浸透しています。

さて、私はサンクト・ペテルブルク大学で朝から晩まで図書館にこもっては論文を書く生活を送っていました。その当時は大学の教員として生計を立てていましたが、日本と違いロシアの大学教員の給料というのは、それはそれは安いものでした。大学教員としての給料ではとても生活などできず、ロシア人であろうと外国人であろうと、大学教員のうちでダブルワーク・トリプルワークは普通となっていました。

そんな境遇ではありましたが、せっかく広大なロシアに住んでいるのだから、いろいろな地方を旅してみたい、と感じるのはごく自然なことだったと思います。日本からロシアに短期旅行に行く場合は、事前に訪問する都市を決めて、それぞれの都市で滞在するホテルや知人宅の証明書をロシア大使館に提出しないとビザが発給されませんでした。ですので、“予定外だけどふらっとあの街に寄ってみたい”と言った自由旅行は原則として不可能でした。

ところが、その当時私が持っていたビザというのは、サンクトペテルブルク国立大学が私の身元を証明しているものだったので、事実上ロシア国内のどこへでも自由に旅行することができたのでした。

今も当時も同じですが、旅行で最もお金がかかるのは宿泊費です。ここをいかに抑えるかが、貧乏研究者の旅行の成功の鍵を握っていると言っても過言ではありませんでした。そこで私が目をつけたのが、『ロシア各地の大学が主催する国際学会への出席』でした。

学者として博士論文を完成させるまでには、複数回の国際学会での発表がノルマとして課されます。多くの研究者は、自分の所属大学やその周辺での発表を行いますが、私は“これはチャンス!”とばかりに、自分の行ってみたい街の大学での学会に応募をしてみようと思いました。そんなある日、私はサンクト・ペテルブルクから500キロほど離れた古都ヤロスラヴリで国際学会があるという掲示を見つけて、すぐにそこに申し込みました。

すると、主催者側から大変丁重なメールが帰ってきました。『ミスター〇〇様、たいへん遠いところからお申し込みいただきまして、大変恐悦至極に存じます・・・』いや、たしかに私は日本人だから遠いところから申し込んだとは言えるけれども、ペテルブルクからヤロスラヴリは夜行列車でも1晩で着くし、それほどの距離でもないのにと訝しがっていたのですが、よくよく申し込んだ大学名を確認してみると、なんとそれはヤロスラブリ大学ではなく、クラスノヤルスク大学だったのでした。自分でもクラスノヤルスクがどこにあるのかわからなかったので、ネットで検索してびっくり仰天、クラスノヤルスクはシベリアの中央部サンクト・ペテルブルクからは4,500キロも離れています。これは北海道の稚内から九州最南端の佐多岬を往復したのと同じ距離になります。

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シベリア鉄道に乗ってシベリアへの旅へ

しかし、せっかく申し込んだんだし、シベリアに行けるチャンスなんてない!と考えて、出席することにしました。幸いなことに、前述のようにお金はありませんでしたが、時間だけはたっぷりありましたので、シベリアまで列車で行くことにしました。

実は日本からも人気のあるシベリア鉄道ツアー。ツアーの行程は、日本からウラジオストックまで飛行機で行って、そこからモスクワまでシベリア鉄道に1週間乗りっぱなしの旅。そしてモスクワからは飛行機で日本に帰ってくるという一連のパックで30万前後で販売していました。ただし、ここでは1等車の座席が購入されてしまいます。1等車というのは、日本で言うところのグリーン車のような扱いで、しっかりと扉がついていてコンパートメントに分けられています。座席もフカフカで貧乏だった私は一度も乗ったことがありません。ここには裕福そうな西欧の外国人たちが乗っていた印象があります。

これに対して、ロシア人たちはそんな豪華な車両には乗りません。いわゆる“開放寝台”という車両があります。これはグリーン車のようにそれぞれのコンパートメントにくぎられておらず、車両の中に所狭しとベッドがいっぱい並んでいます。2段ベッドの上側は、日中は大きく天井側に跳ね上げて、上のベッドの人も下のベッドの人も仲良く下のベッドの人の席に座ります。この開放寝台は、先の1等車と比べてもとても安いです。クラスノヤルスクまでの乗車でも2万円前後だったのを覚えています。

シベリア行きの列車は何日間も乗り続けるので、自分の席につくと、おもむろにロシア人たちはトイレに向かいます。そして上下ともにジャージに着替えてリラックスし始めます。この開放寝台ですが、実は不人気な場所というものが存在します。各車両には両端に車掌室かトイレのどちらかがついています。車掌は軽食を販売したり、トイレの管理をしたり、駅についたら検札の役割もします。列車の端の一番トイレに近い席は、いわゆる“ハズレ”席です。まぁ、臭いがするからなんですね。ギリギリでチケットを購入したりするとここに当たったりします。

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長くなってしまったので、続きはまた気が向いた時に書くことにします。


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