【vol.1398】「私大志望で現代文しか課されない受験者は、古文常識の章あたりは目を通しておくとよい」と言うけれど、古文常識の参考書ってどの程度目を通せばよいの??|受験相談SOS

今日の質問 参考書でたとえば「私大入試で現代文しか課されないところの受験者は、古文常識の章あたりは目を通しておくとよい」と書いてあるが、「目を通す」とはどのような程度なのだろうか?文字通り読むだけだとやった意味ないし、難しいところだ。

中森先生 これは、料理とかのさ、本とかで「適量」とか書いてるのと同じ感じですよね。その匙加減わからんからきいてんだろ、みたいな感じだよね。あと僕らもよく「講義系読んで」みたいなこというけど、「読んだだけでいいの?」みたいな気になる人はいると思うんでそこについてですかね。これね、一番わかりやすいのは過去問解くことだよね。実際にどういうことがでてくるのか、みたいな。で、聞かれたことを覚えて、その基準で、その古文常識の部分をとき直すみたいな感じ?がいいのかなと。

太田先生 そうですね。目を通すって相当上下あると思うんで、「あ、結構しっかり古文の単語とか文法とか聞かれてるんだ」みたいなのを過去問見るとわかったり、「あ、ほとんどそういうのでてこなくて、たまに昔のことが書いてあるとか文学作品の名前が書いてあるくらいのことなんだな」ってなったら、それ相応の対応ができればいいですよね。

中森先生 あとこれ、本人の知識の総量にもよるじゃん。ってことがあって、たとえば、一般常識として知ってるだろレベルのことを知らない人だったら、それは読んどかなきゃいけないよね、みたいなケースって結構あるじゃないですか。他の科目でもそうだけど。

太田先生 干支とかですかね。

中森先生 干支とか。たとえば源氏物語の作者とか誰って言われてわかんないとか。やっぱそこは本当に知識ないと思うなら一通り1回読んで、1回か2回、1周か2周して、で過去問といてみて、「あーこういうこと聞いてくるんだ」みたいな、たとえば現古融合問題でこんな問題でてきたなみたいなのがあったら 、その都度詳しくもう一回その部分だけを見直すみたいなかたちでだんだん知識を論じていくって感覚でやるといいかなと。過去問なしでやるってなると結局全部目を通さなきゃいけなくなるから。そうなるとちょっとむずかしいかなと。要はですね、目を通してどうなりたいのかっていうのが結構大事だと思うんですよ。なんていうか「目を通す」とか、「講義系読んで」みたいなことって、別に目標があるときの発言だと思うんですよ。それを使いつつ最終的にどうなってほしいかっていうとたとえば問題集が解けるようになってほしい、だけど問題集の解説だけじゃわかりにくいから、講義系の参考書を読んで、理解して、最終的にその問題集解けるようになって、っていう場合なのか、過去問のなかで実際に出たことを、理解して、それでたとえば今言った古文常識みたいな参考書とかで補強してねみたいな話なのかとか。そういうことだと思うんで。古文常識の参考書読むことが目的ではないってことになるんで、目標をハッキリさせることが重要ですかね。

太田先生 まあ少なからず、目を通しておくことで何かしらメリットがあるはずですよね。

中森先生 だってさ、この言い方だとさ、単純な話やんないほうがいいことってあんまないじゃないですか。残り時間考えたらしょうがなくカットすることはあっても基本勉強においてやんないほうがいいことってないわけで、だから、そこはやったほうがいいのはもちろんなんだけど、やったほうがいいっていう基準だけじゃやりたくないじゃないですか。だからこそ、実際でたものとか、それに近いものをやるってことが基本なんで、まず過去問をやろうっていう。何を読めばいいかわかんなかったら、過去問をやろう。ただ、どうせ使うんだったら、一回先に読んどいたほうが、あとあと、ああこの辺の話かってぱっと戻りやすいから一回読んどくと楽だよっていうのはあるかなぐらいですかね。

太田先生 まあ、そういうところで、「目を通す」についてなんですけども、しっかりと過去問をといて、「どの程度目を通せばいいのか」を確認してみてください。