数学は実学か虚学か? 役に立つ学問ってなに? 数学の歴史的な位置づけとは?

武蔵小杉校・

数学は実学か虚学か? 役に立つ学問ってなに? 数学の歴史的な位置づけとは?

 

こんにちは。武蔵小杉校の川井です。

 

理系の学問が実学として評価される流れと、それに対する文系分野からの反発があり、それらが落ち着いて特に結論がないまま、「結局、実学かそうじゃないかって二分法は成り立たないよね」という結論になんとなく落ち着いている、というのが現状でしょうか。

 

ある現代文の入試問題では、理系の知識は短いスパンで役に立ち、文系の知識は長いスパンで役に立つ、といった話もありました。

哲学科卒業の私としては、「そもそも役に立つってどういうこと?」という点から追及したいところ。どうも世間一般では「実学=役に立つ=お金になる」と認識されがち。それちょっと資本主義に囚われすぎてませんか、と哲学科卒としては言っておきたい。なお、哲学は「なんの役に立つの?」とまっさきにやり玉にされる模様。

 

ところで、理系分野の基礎になるのは数学が、その数学は、実学的なのでしょうか?

 

統一テストへの移行に伴う早稲田の数学必須化や、世間的にも「数学的思考力は重要」という認識がされており、数学重視は最近のトレンドです。

でも、実際にどこで役に立っているのでしょうか?

 

今回は理系学問の基礎である数学について改めて考えてみましょう。

 

日常生活ではほとんどが「算数」

 

経理会計や、マーケティングなどの戦略に関わるのではないか、と思われるかもしれません。

しかし、こうした仕事で使う計算のほとんどは四則演算、つまり算数で済む範囲です。日常生活では文字式を使うことすらほとんどしません。

しかも、関連するデータが複雑な場合、その因果関係を明らかにして演算するよりも、統計的に結果を分析して当てはめるという手法が取られます。

 

例えば、天気予報は現在の気象条件から、過去の近似的な気象条件に当てはめて予測をしているそうです。つまり、気圧配置からすべて計算してn時間後の条件を割り出しているわけではありません。

わかりづらい場合は、細かく分節してみましょう。

 

現在はAという気象条件にある。

これまでのデータを分析すると、Aに近い気象条件のとき、その24時間後には90%の確率でBという気象条件になっている。

だから、24時間後にはBに近い気象条件になるだろう。

 

というのが、天気予報の仕組みです。

この構造、次のように置き換えても成り立ちます。

 

現在、猫が欠伸をした。

これまで、猫が欠伸をした24時間後には、90%の確率で雨が降っている。

だから、24時間後には雨が降るだろう。

 

そんな非科学的な、と思いたくなりますが、この二つの例について、科学的な根拠はどちらもありません。どちらも「因果関係があると期待されている」に過ぎないのです。

仮にですが、一切因果関係がないとしても、天気予報よりも高い精度で天気を当てられる占いがあれば、それを使ったほうがお得なはずです。実際はそんなオカルト的なものはないのですが、数学的な因果関係の証明よりも、途中式をすっとばした近似値のほうが求めるデータを得られることはよくあるのです。

 

ちょっと話題を変えて、確率計算はどうでしょうか。

確率は日常でも考えることがあるでしょう。身近な例でいえば、受験の合格率なんかもそうですね。合格率が50%程度であれば、同じレベルの大学を2回受けたらいずれに合格できる確率は75%3回受けたら87.5%です。

確かにこうした計算は、算数(小学校)ではなく数学(中学)で勉強します。ただ、場合分けや立式しないと解けないようなものではなく、行っている計算は掛け算だけ。これは小中で科目名が変わるから「数学」に入るだけで、算数的な「演算」か、または数学的な「数についての学」か、と問えば、前者に含まれるべきでしょう。

 

もちろん算数も統計も数学の基礎の上に成り立っているので、数学が無駄だと言っているわけではありません。ただ、数学それ自体はほとんど実学ではないということは伝わるかと思います。

 

 

歴史的な数学の位置づけ

 

古代から中世

 

歴史的には数学とはどのような学問だったのでしょうか。

加算減算はおそらく文字が発明される以前から行われていたことでしょう。物を交換するだけでも、足したり引いたりする処理は必要になります。

これが数に関する学問として成立したのはいつか、となると、厳密にはわかりません。

ただ、著名な古代の数学者とはいえ、まず思い出されるのはピタゴラスでしょう。三平方はピタゴラスの定理としていまだに名前が残るほどの偉人です。ピタゴラス派の人たちは「世界とは数でできている」と考えていた人たちなので、数や形を形而上学的な原理としてとらえていたようです。つまり、実学とは全くかけ離れていました。

 

また、興味深いのは、古代の天文学です。

コペルニクス以前はご存知のように天動説が主流でした。しかし、天動説の考え方では、惑星の逆行や留が説明できなかったため、古代の天文学者、プトレマイオスは数学的な天体の運行モデルに「エカント」という、実在するか不明な概念を導入しました。このことは、プトレマイオス自身、「現象を救う」(=目に見える現象を記述するためだけの数学的処理)と表現しています。

つまり、プトレマイオスにとって、数学とはあくまで記述の道具であり、それが表す物自体の実在性とは関係ない、と捉えていたことになります。

 

これは決して彼独自の思想というわけではなく、アリストテレスなどにも共通する考えです。「犬」という言葉は犬を表すが犬それ自体ではないのと同様に、数学も一種の言語のようなものとして認識されていたといえるでしょう。

 

その後、数学発展の舞台はヨーロッパからアラブに移り、代数学はこの地で生まれることになります。

 

 

中世以降

 

いったん数学はアラブで発展していきますが、ルネサンスあたりから再び舞台はヨーロッパに戻ります。

15-16世紀は、近代の始まり、現代文的には宗教的価値から科学的価値が重視されるようになった時代です。このとき、数学の意義も宗教と新たな科学の間で変化をしていきます。

当時、自然学の分野で権威を持っていたのは、アリストテレス主義者でした。彼らは対象がどのような性質を持っているかに注目して推論をしていたため、数学はあくまで記述の道具でしかありませんでした。

一方で、コペルニクスやガリレオは、数学的な整合性は実在的に正しいと考えていました。「世界は数学的言語で書かれている」というガリレオの言葉は有名ですね。

 

こうして、数学は計算のための道具から、世界の理を抽象するための手段に変化していきます。

 

とはいえ、だからといって実学として有益だと認識されるようなことはなく、むしろ専門化しすぎて哲学以上に「それなんの役に立つの?」と思われているのが現状かもしれません。(5次元以上の理論とか何に使うの……

 

 

まとめ

 

まとめをしてしまうと、数学それ自体は役に立たないけれども、他の分野の基礎になっている、というだけのお話です。

ただ、学問とはそれぞれ独立に存在しているわけではなく、物理学が数学という基礎の上にあるように、実はあらゆる学問の基礎を問い直すときには哲学が必要になります。

化学の分野の功績を医学で実践するためには、倫理が必要なこともあります。

学問とは他の学問領域と相互依存の関係にあり、これは文系理系で線引きできるものでもありません。

そういう意味で、実学かどうか、という話自体が、やはり不毛なのではないでしょうか。

 

 

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