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世界史B マクリブ地域の歴史

マクリブ

こんにちは!京都駅の予備校・塾といえば、武田塾京都駅前校です。

 

さて、今回は歴史が得意な講師に聞いてみたシリーズ世界史編です(*^-^*)

世界史選択の受験生は必見ですよ!

マクリブ地域の歴史

はじめに

受験生の皆さんはマグリブの歴史を整理できていますか?

世界史は空間的に広い範囲を扱う科目ですので、例えば西欧・中国・西アジアなどの文化的・経済的・政治的に強い影響力を持ち続けた地域に比べて、辺境地帯や境界地帯については整理が後回しになりがちです。

今回扱うマグリブ地域もそのような境界地域の一つでしょう。

マグリブ地域とは現在リビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコ、モーリタニア、西サハラという6つの国と地域からなりますが、現在これらの国では宗教的にはイスラームが圧倒的多数派となっています。

世界史Bでは特にチュニジア、アルジェリア、モロッコの三国に焦点が当てられていますが、このブログでは17世紀以降のトリポリタニア(現在のリビア西部)についても紹介します。

マグリブとはアラビア語で「日が沈む地」という意味で、イスラーム世界においてはメッカやバグダードなどの宗教的政治的に重要な地域を含んでいる西アジア地域が中心地ですが、その西アジアからこの地域を見たとき、この地域は西方にあたることからそのような名前が付きました。

この地域はカルタゴやムラービト朝・ムワッヒド朝の時代のように稀に広範な地域を支配する権力の中心地となったものの、この3つを除けばヨーロッパや西アジアの有力国家に支配され続けてきました。

まだ自分でマグリブ地域を通史的に理解できていないという受験生は、ぜひこのブログを活用してください。

 

7世紀まで イスラーム以前の時代

北アフリカにはアフロ=アジア語族に属する言語を話し、農耕や牧畜を営むベルベル人たちが内陸部で生活するようになった後、地中海上で交易に従事したギリシア人やフェニキア人が海岸部に植民市をいくつか建設しました。この内、フェニキア人が建設したカルタゴはもっとも重要です。以下、北西アフリカに勢力を得た順に紹介します。

カルタゴ

 フェニキア人が建設した植民市から出発した国家。次第に強勢となり、北西アフリカ地域を広く支配した。前146年にローマによりポエニ戦争で滅亡ぼされた。

ローマ

 ラテン人が建設した都市から出発した国家。前146年にポエニ戦争でカルタゴを滅ぼして北西アフリカ地域を領有した。前27年にアウグストゥス帝の即位でローマ帝国となる。395年にテオドシウス帝が死去し、ローマ帝国は東西に分割された。

西ローマ帝国

 395年に分割されたローマ帝国の西方部分。北西アフリカ地域は西ローマ帝国に編入された。375年に移動を開始したゲルマン諸民族は西ローマ帝国領内を蹂躙したが、それらのゲルマン民族の一つであるヴァンダル人によって北西アフリカの領土は失われた。

ヴァンダル王国

 ゲルマン人の一つであるヴァンダル人による国家。ゲルマン人の大移動の際にヨーロッパに侵入した。429年にガイゼリック王に率いられて北西アフリカのローマ帝国領を占領し、カルタゴを中心に王国を建設した。東ローマ帝国のユスティニアヌス帝と対立し、534年にベリサリウス将軍に率いられた東ローマ帝国軍により滅ぼされた。

東ローマ帝国

 395年に分割されたローマ帝国の東方部分。北西アフリカは当初西ローマ帝国領だったため領有していなかった。ユスティニアヌス帝の時代にヴァンダル王国と対立し、534年にベリサリウス将軍を派遣してヴァンダル王国を滅ぼし、カルタゴに総督府を置いて北西アフリカを領有した。ウマイヤ朝と対立し、706年までにウマイヤ朝カリフのワリード1世が派遣した軍隊によって北西アフリカの領土を喪失した。

 

 

7-13世紀 イスラーム時代の始まり

7世紀にアラブでイスラームという宗教が起こってすぐに、ローマ以来のキリスト教国による北西アフリカ支配は揺らぎ始め、8世紀初頭までには完全にイスラーム勢力の勢力下に入りました。当初はアラブ人ムスリムが指導者層を形成するイスラーム王朝が成立しましたが、後に在地のベルベル人にもイスラームが浸透すると彼らによる王朝も登場しました。中でも11世紀に成立したムラービト朝と12世紀に成立したムワッヒド朝はベルベル人王朝として極めて有名な王朝です。この項でも、北西アフリカに勢力を得た順に紹介します。

ウマイヤ朝

 シリアを中心に拡大したアラブ系のイスラーム王朝。ムアーウィヤが第4代正統カリフのアリーを滅ぼして創始し、カリフ位の世襲を始めた。東ローマ帝国と敵対し、706年までにワリード1世は北西アフリカを征服した。750年にアッバース朝によって滅ぼされた。

アッバース朝

 イラクを中心に成立したアラブ系のイスラーム王朝。アブー=アルアッバースがウマイヤ朝を滅ぼして創始した。ウマイヤ朝の領土を継承したが、地方政権は自立の傾向を示し、徐々に弱体化した。789年にイドリース朝によってモロッコを失い、800年にアグラブ朝にチュニジアの統治を認めた。909年にファーティマ朝がアグラブ朝を滅ぼした後は、マグリブに対する間接的な支配権も喪失した。

イドリース朝

 モロッコを中心に成立したアラブ系のイスラーム王朝。シーア派の王朝であり、建国者はアリーの子孫を称して789年にアッバース朝から独立した。926年に侵入したファーティマ朝に敗れて衰退し、974年に後ウマイヤ朝によって滅亡した。

アグラブ朝

 チュニジアを中心に成立したアラブ系のイスラーム王朝。800年にアッバース朝からチュニス総督に任命され、ある程度の自立性を維持しつつもアッバース朝の権威の下で総督職を世襲した。チュニジアを中心にアルジェリアからトリポリタニアまで勢力下においた。827年にシチリア島へ侵攻し、東ローマ帝国から奪ったのはこの王朝である。909年にファーティマ朝によって滅亡した。

ファーティマ朝

 チュニジアから出発したアラブ系のイスラーム王朝。シーア派の一派であるイスマーイール派の王朝である。ムハンマドの娘ファーティマの子孫を称してアッバース朝に対抗し、当初からカリフ位を称した。909年にアグラブ朝を滅ぼした後、アルジェリアからトリポリタニアまでマグリブに広く勢力を伸ばしたが、アッバース朝からエジプトを奪ってカイロを建設してからはエジプトに拠点を移し、マグリブでは983年にズィール朝が自立した。

後ウマイヤ朝

 イベリア半島を中心に成立したアラブ系のイスラーム王朝。756年にアッバース朝から逃れたウマイヤ朝の王族アブド=アッラフマーン1世がコルドバを首都に建国した。10世紀に全盛期を現出したアブド=アッラフマーン3世は、929年にアッバース朝に対抗してカリフ位を称するようになった。974年にイドリース朝を滅ぼし、モロッコでの勢力を得た。王族間の内紛やキリスト教国との戦いの中で弱体化し、1031年に内乱で滅亡した。

ムラービト朝 

 西サハラを中心に成立したベルベル系のイスラーム王朝。後ウマイヤ朝滅亡後の1056年のモロッコで建国し、マラケシュを首都とした。ガーナ王国を攻撃してサハラ交易への影響力を強め、アルジェリアにも進出した。イベリア半島にも進出し、カスティリャ王国やアラゴン王国といったキリスト教国によるレコンキスタに対抗した。1147年にムワッヒド朝により滅ぼされた。

ムワッヒド朝

 西サハラを中心に成立したベルベル系のイスラーム王朝。1130年に自立し、1147年にムラービト朝を滅ぼしてマラケシュを都とした。アルジェリア、チュニジア、トリポリタニアにも勢力を広げ、マグリブ地域を広く支配した一方で、イベリア半島ではキリスト教国に対して劣勢であった。イベリア半島での決定的な敗北の影響もあって国力を衰退させ、1296年にマリーン朝によって滅ぼされた。

 

13-16世紀 分裂の時代

この時代のマグリブ地域は広範囲を支配下に置く強大な政治勢力を欠いた分裂の時代です。チュニジアとアルジェリアとモロッコそれぞれに独自の王朝が成立し、現在のこの3カ国の源流となる分裂が生じたといえます。また、重要な政治勢力を欠いているということは、暗記すべき王朝を欠いているということでもあります。よほどの難関大学を受験するつもりがなければこの時代のマグリブ地域の王朝は知らなくても良いでしょう。この項ではチュニジア、アルジェリア、モロッコの順に紹介します。

ハフス朝

チュニジアを中心に成立したベルベル系のイスラーム王朝。1229年にムワッヒド朝から自立し、1574年にオスマン帝国によって滅ぼされた。

ザイヤーン朝

アルジェリアを中心に成立したベルベル系のイスラーム王朝。1236年にムワッヒド朝から自立し、1550年にオスマン帝国によって滅ぼされた。

マリーン朝

モロッコを中心に成立したベルベル系のイスラーム王朝。1196年にムワッヒド朝から自立し、1296年に滅ぼした。内乱で弱体化し1456年に滅亡した。

ワッタース朝

モロッコを中心に成立したベルベル系のイスラーム王朝。マリーン朝滅亡後の1472年に成立した。1554年にサアド朝によって滅ぼされた。

サアド朝

モロッコを中心に成立したベルベル系のイスラーム王朝。1509年にワッタース朝から自立し、1554年に滅ぼした。内乱で衰退し、1659年に断絶して滅亡した。

 

16-18世紀 オスマン帝国の時代

この時代のマグリブ地域はオスマン帝国の進出を受けた時代です。前述のチュニジア、アルジェリア、モロッコの内、チュニジアとアルジェリアはオスマン帝国の支配下に入りましたが、モロッコはオスマン帝国と戦って抵抗し、その支配を拒みました。オスマン帝国に征服された地域でも、チュニジアやトリポリタニアでは特定の王朝が総督職を世襲し、アルジェリアでも総督による統治が行われるなど、自立の傾向が強くありました。一方モロッコでは現在まで続く王朝がこの時に誕生しています。

オスマン帝国

アナトリアを中心に成立したトルコ系のイスラーム王朝。成立以来拡大を続け、ヨーロッパやアジアのみならずアフリカにも進出した。セリム1世が1517年にエジプトのマムルーク朝を滅ぼして後、マグリブ地域にも進出した。1550年にザイヤーン朝を滅ぼしてアルジェリアを、1574年にハフス朝を滅ぼしてチュニジアを支配したが、モロッコでは抵抗を受け完全に支配下に入れることには失敗した。マグリブでは総督の自立性が強く、チュニジアでは1613年からムラード朝、1705年からフサイン朝がオスマン帝国の宗主権のもとで世襲し、トリポリタニアには1711年からカラマンリー朝がオスマン帝国の宗主権のもとで世襲した。アルジェリアでも特定の王家が長期間にわたって世襲することはなかったものの、総督による間接統治が行われていた。ヨーロッパ列強に対する劣勢が明らかになるとオスマン帝国支配下のマグリブ地域も侵略を受け、1830年に王政復古したフランスのブルボン朝がシャルル10世のもとで実行したアルジェリア出兵によってアルジェリアを喪失したのを皮切りに、1881年にはフランスにフサイン朝の宗主権を奪われチュニジアを喪失し、1912年にはイタリアによってトリポリタニア(オスマン帝国は1835年にフランスのアルジェリア出兵に対抗してカラマンリー朝を廃止しトリポリタニアを直接支配していた)を喪失し、マグリブ地域から勢力を駆逐された。

ムラード朝

 チュニジアを中心に成立したイスラーム王朝。オスマン帝国のチュニス総督が1613年から世襲化してできた。1702年に断絶。

フサイン朝

 チュニジアを中心に成立したイスラーム王朝。ムラード朝滅亡後の1705年からオスマン帝国のもとで世襲化した。1881年にフランスに保護国化されてオスマン帝国から切り離された。第二次世界大戦後チュニジア王国として1956年にフランスから独立したが、翌年には革命によって王政が廃止され、フサイン朝は滅亡した。

カラマンリー朝

 トリポリタニアを中心に成立したイスラーム王朝。オスマン帝国のトリポリ総督が1711年から世襲化してできた。1830年にフランスによってアルジェリアが奪われたことに危機感を抱いたオスマン帝国がトリポリタニアを再度直接支配するために派遣した軍隊によって1881年に滅亡した。

アラウィー朝

モロッコを中心に成立したイスラーム王朝。1631年にサアド朝から自立。サアド朝は1659年に断絶し、アラウィー朝がモロッコでの支配権を確立した。オスマン帝国の干渉に抵抗し、モロッコの独立を維持した。1906年のタンジール事件と1911年のアガディール事件という二度のモロッコ事件でドイツの干渉を受けたが、いずれの場合もドイツの主張は退けられ、最終的にモロッコは1912年にはフランスとスペインによって保護国化された。第二次世界大戦後モロッコ王国として1956年にフランス・スペイン両国から独立し、現在もアラウィー朝はモロッコに君臨している。

 

19-20世紀 植民地化の時代

オスマン帝国の政治的な後退に伴ってヨーロッパ列強の諸国がマグリブ地域にも進出し、植民地を形成した時代です。最終的にはマグリブの全ての地域が列強の保護国か直接の植民地になりました。ここではフランス、ドイツ、イタリア、スペイン、イギリスの順でマグリブ地域への進出を紹介します。(エジプトやアフリカの他の地域はマグリブ地域としては扱わないので、別途学習してください。)

 

フランス

1830年 ウィーン体制によって復活したブルボン朝のシャルル10世は強力な反動政治をおこない国内の反感をかったが、首相のポリニャックはそれを逸らすためにオスマン帝国の宗主権のもとにあったアルジェリアへ出兵し、現地のアブドゥル=カーディル主導の反仏闘争にあいながらも植民地化した。

1881年 第三共和政のもとでチュニジアのフサイン朝を保護国化した。

1912年 第三共和政のもとで、モロッコ事件でドイツの主張を退けた後、スペインと共同でモロッコのアラウィー朝を保護国化した。

1954年 第四共和政に対してFLN(アルジェリア民族解放戦線)主導でアルジェリアの独立闘争が始まる。

1956年 第四共和政のもとで、フサイン朝によるチュニジア王国、アラウィー朝によるモロッコ王国の独立を承認した。

1858年 アルジェリア独立問題で求心力を失った第四共和政政府をド=ゴールが打倒し、第五共和政を開始して大統領に就任した。

1962年 ド=ゴール大統領はエヴィアン協定でアルジェリア民主人民共和国の独立を承認した。

 

ドイツ

1905年 ホーエンツォレルン朝の皇帝ヴィルヘルム2世のもとで、第一次モロッコ事件(タンジール事件)を起こし、英仏協商によるフランスのモロッコへの進出に対して、モロッコ(アラウィー朝)の領土保全と門戸開放を求めた。

1906年 アルへシラス会議でドイツのモロッコ(アラウィー朝)への要求は退けられた。

1911年 ホーエンツォレルン朝の皇帝ヴィルヘルム2世のもとで、第二次モロッコ事件(アガディール事件)を起こし、モロッコにおけるドイツ人居留民の保護を名目に軍艦を派遣したが、最終的にフランスのモロッコにおける権益を承認して撤退した。

 

イタリア

 1911年 イタリア=トルコ戦争でオスマン帝国からトリポリタニア(トリポリ)とキレナイカ(現在のリビア東部)を獲得し、植民地化した。

 1934年 ムッソリーニ政権のもとで、イタリア領トリポリタニア(トリポリ)とイタリア領キレナイカを合併し、イタリア領リビアを設置した。

 1947年 第二次世界大戦に敗北し、パリ条約によってリビアを放棄した。

 

スペイン

1912年 フランスと共同してモロッコのアラウィー朝を保護国化した。

1936年 アサーニャを首班とする人民戦線内閣に対してフランコ将軍らがモロッコの拠点から反乱を起こし、スペイン内戦が始まる。(1939年フランコ側の勝利)

1956年 フランコ政権のもとで、アラウィー朝によるモロッコ王国の独立を承認した。

 

イギリス

1947年 第二次世界大戦後のパリ条約によってイタリア領リビアのうちトリポリタニアとキレナイカを占領した。

1951年 サヌーシー教団の首長を国王にするリビア連合王国の独立を承認した。

 

戦後

マグリブ地域を領有する列強諸国の内、連合国側で参戦した諸国は当初これらの地域における利権を保持しようとしましたが、いずれも脱植民地化の流れには逆らえず、1960年代までに相次いで独立を承認しました。王国として独立したチュニジアとリビアでは、後に王政が打倒されました。

 

独立

1956年 フランスとスペインの保護国だったモロッコ(モロッコ王国(アラウィー朝))が独立した。

1956年 フランスの保護国だったチュニジア(チュニジア王国(フサイン朝))がフランス独立した。

1951年 イギリス等の占領地だったリビア(リビア(連合)王国(サヌーシー朝))が独立した。

1962年 フランスの植民地だったアルジェリア(アルジェリア民主人民共和国)が独立した。

 

その後

1957年 チュニジアで王政(フサイン朝)が打倒され、共和政となる。

1969年 リビアで王政(サヌーシー朝)が打倒され、共和政となる。革命を主導したカダフィ大佐による独裁のもと、独特の社会主義国家が建設される。

2011年 アラブの春と呼ばれる反独裁運動がマグリブ地域で発生し、チュニジアのベンアリ政権、リビアのカダフィ政権が打倒された。(エジプトでもムバラク政権が打倒されたほか、その他の国でも大衆運動が拡大した。)

 

さいごに

いかがでしたか?マクリブ地域の歴史を理解できましたでしょうか?(^^)/

世界史は覚えることも多く、知識の抜け漏れも多いかと思います…

抜け漏れが見つけた時は都度覚えるようにしていきましょう!

 


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