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大学受験に何を求めているのか|武田塾京都校

君たちは大学受験に何を求めているのか

京都の予備校と言えば武田塾京都校!講師のS.Yです!

お久しぶりです。久々のブログのアップですね。最近は僕以外にも講師が書くブログがいくつか挙がっていて、良い感じですね。

今日は、大学受験をするにあたって、どういった価値観に基づいて望むのがよいか、みなさんが再考するきっかけになればと思って書きます。

大学受験を控える受験生として、どこの大学を目指すか、というのは重要な事項だろうと思います。特に、一度受験を経験し、その結果に納得がいかず、もう一年頑張って受験をしようと決意した人に関しては、よりその傾向が強いと思われます。

 

僕自身どんな受験生だったか

僕自身、高校卒業後1年間勉強して、京都大学に入学しました。当時の僕は中高一貫教育の6年間で、「予習→授業→復習のサイクルを回して継続的に勉強する」という理想的と言われる学習方法をしたことは一度もなく、好きな科目にだけたっぷりと時間をかけ、そうでない科目はテスト前に一応やるが基本的には後回しという状態でした。周囲に大学受験のムードが出てきてもあんまりやることは変わらず、「夏休みまでに英単語は固めておいた方がいい」と夏休み明けに初めて聞いて、「2100語前後の単語帳を、1日300個やれば1週間で1周できるやん」と考えて取り組んだくらいでした(といっても、2周やって8割ほど回収し、あとは見たことあるくらい)。

初受験のときは、合格するとは全く思っていませんでした。およそまともな勉強などしていないのだから当然といえば当然です。併願校については、受けて合格してしまうと、その大学に行ことになりそうだったので、受けませんでした。

このように述べると、僕があたかも京都大学に進学することに強いこだわりがあったように見えるかもしれませんが、なんとなくかっこいい感じもするし、家から通えるし、周囲の友達も受験先として選んでいるし、くらいの理由でしかなく、社会的な評価や就職に有利かどうかといった事情は、さすがに知らない・考えていないというわけはありませんが、副次的な要素に過ぎませんでした。

そんな経緯もあって、大学に入学したときに、現役で入学した人が「現役であること」にこだわりを持っていたり、卒業後の学習期間を経て入学した人が、「現役でないこと」に負い目を感じていたりしたのを見たときには、少し驚きました。そういう価値観が卒業まで続くなら、早い段階から「大学受験」に向けた準備をした方がよかったかなと少し後悔したときもありました。

 

序数の争い(Battle of an ordinal)

以下では、「序数的」「基数的」という言葉を用います。

「序数的」とは、順位で表されるもの、「基数的」とは、数値で表されるものくらいのニュアンスで読んでもらえればと思います。

京都の塾で教えていると、京都大学の出身である自分の経歴は必然的に序数的には最上位ということになってしまいます。経歴を知った生徒から「すごい」などと言われることもありますが、以上のような経緯もあって、むず痒くなります。信頼関係の醸成に長い時間をかけなくて済むという利点はあるのですが、それ以上に、序数的な指標に基づいて評価を受け、それによって信用を得るというのは、特に数ヶ月にわたって1対1でのやりとりを継続していく中で信用を得ていくことと比較すれば、あまり本質的なものとはいえないと考えてしまいます。

テレビなどで、◯◯大学だとか、席次が何位だとかいう華々しい成績を見ても、「いいな〜。すごいな〜。どうやらはったんかな〜。」くらいにしか思いませんが、他の人を見る限り、「自慢だ。」「マウントだ。」と捉える人も一定数いるようです。

1対1での会話や、少人数での食事会などで、聞いてもないのに出身大学や席次の話をして優位に立とうとする人に対する感想であるというのであればともかく(こうでもしないと話を聞いてもらえないというのであればコミュニケーション能力が圧倒的に不足しているという他ない気がしますが)、面と向かって言われたわけではなく、不特定多数に向ってのものであるにもかかわらず、さも自分のみに対するものであるかのように受け取って、敵意を抱くのは筋違いもいいところのような気がします。

序数的価値の飽くなき探求

そもそも、序数的指標の追求には終わりがありません。

毎年100万人ほどの人が生まれます(最近は100万を少し下回る)。そのうち、大学に進学する人は、文部科学省の調査結果によれば、2020年度で全体の54.4%だということです。

出典:文部科学省「令和2年度学校基本調査(確定値)の公表について」(令和2年12月25日)

https://www.mext.go.jp/content/20200825-mxt_chousa01-1419591_8.pdf

序数的により高いと思われる東京大学や京都大学の入学者数はそれぞれ3064人、2725人で、合計しても全体の0.5%です。慶應義塾大学の定員が6400名ほど、早稲田大学の定員が5100名ほどで、そのほか「難関」と称される国立大学をいくつか加えても、全体の2〜3%ほどでしょう。

もし就職や進学に「成績が良いこと(GPAが高いこと)」が求められるのだとすれば、入学したそれぞれの大学で、「上位」50%くらいには入らなければなりません。1%〜1.5%にまで減りましたね。

優秀な成績が功を奏して、晴れて「一流企業」に就職したとしても、その属した組織の中でヒエラルキーの「上位」にいくために、また序数の争いが待っているわけです。今何%なんでしょうか。

以上のように見るかぎり、序数的な上位以外に価値を見いださない思考様式は、その前提として0.0何%の人にしかその価値を認められない思考様式であると言えるのではないでしょうか。

基数的価値の飽くなき探求

それではいけないと考えて、形式的に序数的価値観を排除しても、基数的価値観によって同じことを繰り返すのでは意味がありません。

人の評価に用いられる基数的指標の例として、例えば年収が挙げられますが、年収500万より年収750万、750万より1000万、1000万より1500万…と、ワンピースに出てくる海賊の懸賞金額さながらに、数値の戦いをしたのでは、元も子もないというのはわかっていただけるでしょう。

とはいえ、基数的指標には、限界効用が逓減するものが多いので、数値的な上限が比較的早く来るという意味で、序数的指標の場合ほどは深刻でないようにも思われます。また、序数的指標と比べると、達成できる枠に制限がないことが多いので、やはり深刻さの程度は幾分低くなります(その意味では、一般に基数的指標と思われる試験の点数は、相対評価によって点数が付けられる場合には、実質的には序数的指標となる)。

どういったときに、何に基づいて評価するか

人は、知らない他者を判断するとき、あまり深く考えないので地位や肩書、成績といった序数的・基数的な指標に基づいて、安易に判断するでしょう。ここで、「判断する」という言葉を用いて想定しているのは、「Twitterのアカウントをフォローするしない」とか「自分の専門外の分野の本を買うときに、その本を買う買わない」とかいった場面です。前者であればフォロワー数や経歴で(僕の場合は直近数件のツイートの内容・頻度や、日本語がまともかどうか)、後者であれば、売れ行き(累計発行部数・改訂の回数)や著者の経歴で判断することが多くなるわけです。

知らない人や内容について、失敗を避けようと判断するわけですから、期待値を経験的な推測に基づいて算出して判断するしかないわけです。このような戦略が取られる場合、おそらく多くの人は、そのような指標に基づいて判断することで、確実な成果が得られると思っているわけではないでしょう。あくまで確率的な判断をして選択ミスの可能性を減らしているだけです。就活において採用側が学歴やGPAである程度ふるいにかけるのも同じ仕組みでしょうか。

しかしながら、誰と友達になるか、誰と恋人になるかという場面になると、多くの場合、序数的・基数的価値は背景に退くはずです。たしかに、成績上位だから友達になる、◯◯大学だから付き合う、年収が◯◯万円を超えているから付き合う、社長だから友達になる…というのはありそうですが、これらのケースについては、経歴やお金と仲良くなっている例であって問題状況が異なるという反論、あるいは、不特定多数の中から失敗しないものを選ぶ例であって本を選ぶケースと変わらないという反論などが考えられるので、ここでは対象外とします。

つまり、誰と友達になるか、誰と恋人になるかという場面というときに想定しているのは、ハズレを選ばないようにする場面ではなく、正解を選ぼうとする場面だということです(いうまでもありませんが、何が「ハズレ」で何が「正解」かは、選択者の価値観によるりますし、また、ここでは人と仲良くなることを前提としているのです)。このような場面では、序数的・基数的指標が、好き嫌いや趣味が合うか、一緒にいて楽しいかなどといった基数的に表現されえない価値と同一平面で扱われたり、好き嫌いや趣味の合う程度や目指すものが同じなら序数的・基数的指標の高い方を選ぶというように、序数的・基数的指標は副次的な指標として扱われたりするのではないでしょうか。

これは、よりパーソナルな領域に近づいていくほど、序数的・基数的価値の重要度が相対的に低くなるということであると考えることができます。パーソナルな領域の最たるもの(多角形の角を延々と増やしていって円になるイメージ)としての自分自身を評価するにあたって、どうして序数的・基数的指標が幅を利かせるのを許す必要があるのでしょうか。

序数的・基数的上位はそんなに大事か

ここまで述べておいて言うのもなんですが、「自分だけの価値を見いだそう!」みたいな標語はあまり好きではありませんでした。というのも、このような標語は、下手に掲げてしまうと「諦めの論理・慰め合いの論理」に聞こえかねないからです。本当は1番になりたいのになれなかったが、そもそもそんなものは端から目指していないみたいなスタンスに転向するというのは「引かれ者の小唄」でしかなく、そんな風に捉えられてしまうのは、なんだか釈然としません。

しかしながら、この世界の全員が序数的・基数的な指標のみに基づいて存在意義や価値を認めるという思考様式を採用すると、待っているものはデスマーチだけで、持続可能とは程遠いと言わざるを得ません。

以上のように述べるからといって、よりよい序数的指標を得ようとすること自体を否定するものではありません。僕自身もテストを受けるにあたってはよい点数を取ることを望みますし、開示された成績があまりよくないと落ち込みます。

一方で、手に入れてしまったものは、手に入れた途端に些細なものに見えてしまいがちです。この、「手に入れた途端に些細なものに見える」というのは、向上心の淵源です。しかし、向上心というものは、自分のコントロール下にあるうちは、自分を現状より少しでも高みへと押し上げるための原動力となるものとして有用ですが、ひとたび自分のコントロール下を離れ、飽くなき序数的価値の追求へと走り出すと、自分自身の心を蝕むようなものになってしまうものなのだと思います。

また、1番になるという序数的な価値観だと、自分より序数的に少し上にいる人を貶めるという戦略が合理的なものとして正当化されてしまうという弊害があります。他人を貶めたところで、自分の絶対的な価値は向上しません。それにもかかわらず、序数的には向上してしまうので、合理的戦略になってしまうというわけです。「優秀さ」を序数的なものさし1つだけで判断するような思考様式は、多様性を志向する社会潮流とは相容れないものでしょう。

我々が他者を評価したり、自己を評価したりするとき、どのような指標に基づいて評価を行なっているのかには、特に気を払う必要があります。知らない他者を評価するのに、安易に序数的指標ばかり用いていると、自己を評価するにあたっても序数的指標を用いることが一貫した態度であるということになり、自己を蝕む契機となります。

序数的指標はあくまでも指標の1つに過ぎないものだと理解することは、自己を評価するときに複数の指標を総合的に考慮するきっかけとなり、指標の組合せとしての「評価のポートフォリオ」が形成されます。ポートフォリオを持ってれば、指標のうちの何か1つで芳しくない結果を得てしまったとしても、あるいは自分より遥かに煌びやかな経歴の持ち主が眼前に現れたとしても、他の指標がリスクをヘッジしてくれるので、決定的な打撃を受けることはありません。

また、序数的指標はあくまでも指標の1つに過ぎないものだと理解することは、他者を評価するにあたっても、さほど厳密な判断が求められていない局面(※)であることを踏まえた上で、序数的指標に頼って判断したり、厳密な判断が求められる局面(※)であることを理解したうえで、複数の指標に基づき総合的に判断したりすることで、判断指標に選択肢が生まれ、他者を評価するときと自己を評価するときに用いる指標が異なるという事態が生じることを受け入れることができるようになることに加え、他者を、より多様な仕方で評価することもできるようになります。

(※)ダニエル・カーネマンが『ファスト・アンド・スロー』で述べるところの、システム1によるファストな思考と、システム2によるスローな思考を意識しています。

 

以上のような理由から、僕は、順位とか成績に囚われがちな受験生に、序数的・基数的な上位のみを是とする価値観以外で自己や他者を評価する指標を、常に持っていてほしいと思うわけです。

 

さらばじゃ。

 

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武田塾チャンネル 高学歴を求める指標の一つとして紹介します!

一つの価値観としてこのようなものがあるという認識で見て下さい

 

 

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