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平成の入試制度、大学入試センター試験が終了しました。<1>

鉛筆転がし

こんにちは。武田塾日吉校です。

 

センター試験を受験した皆さん、まずは お疲れさまでした。

で、出来は、どうだったでしょうか。

さすがに大学受験の最大のイベントであり、50万人以上が受けるとあって、

報道、ネットでも話題が多いですね。

前回、大学入試センター試験は平成の入試を書きましたので、

ちょっと寄り道で、今回も少し前の入試を振り返ってみます。

 

もとは、国公立大学入試

今、すっかり全員参加になり、半ば受験生に義務化されたセンター試験ですが、

当初は国公立大学だけの入試でした。

2月25日の2次試験センター試験の点を合計し、判定する方法は現在と同じで、

配点が大学によって異なることも同様でした。

その制度を保ちつつ、私立大学の参加が広がり、

現在ではほぼ全大学がセンター試験に関りを持っているのです。

但し、慶応大学上智大学のように、

現在センター試験による入試を実施していない大学もあります。

 

ですから、センター試験も初回の頃は、私大専願の人は受験しませんし、

現在のように国公立大学、正確には公立大学が多くありませんでしたから、

受験者もそれほど多くないことが予想されます。

皆さん、実際、どのくらいだったと思いますか。

気になったので調べてみたら、初回の受験者が約40万人でした。

やや意外な感じ、というのは、けっこう多かったなと私は感じるのですが、

皆さんどうでしょうか。

 

平成の受験者数は、

実は、センター試験スタート当初の世代は、18歳人口がピークで200万人を超えていました。

今の倍近かったのです。

これだけいれば、国立大学だけといっても、相当数になりますよね。

平成の入試は、ほぼ一直線に減り続ける18歳人口との戦いだったとも言えます。

おそらく当時のままの制度を30年続けたら、

受験者も人口の動向に近い数字で推移していたかもしれません。

 

変わったのは数だけでなく、

数が多ければ、当然競争も激化するのですが、

それを反映してか、センター試験当初の頃は浪人がかなり多くいました。

浪人は難関大学医学部の人だけ、現役で国公立大学

というのは、平成の当初では当たり前のように言われることではありませんでした。

 

誰が言ったか、

現役偶然、1浪当然、2浪平然、3浪憮然、4浪唖然なんていう、

冗談なのか現実なのかわからないことが言われる時代でしたから、

これも平成の入試制度の間に変わったことだろうと思います。

つまり、センター試験当初は、受験者1人あたりの受験回数が今より多く、

統計上の18歳人口以上に受験者数が多かったのです。

 

まったくの余談ですが、

当時、センター試験の受験番号が(おそらく県ごとの)名前順だったので、

1学年違いの兄弟がいると、

特に珍しい苗字の人は浪人した兄と現役の弟が並んでしまうというのがありました。

これも、1浪当然時代に特有のことですね。

 

 

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