3月から着任いたしました、森です
ブログをご覧のみなさま
はじめまして
武田塾青葉台校の森(モリ)と申します!
ブログをご覧のみなさま
はじめまして
2022年3月より
青葉台校 校舎長となりました
森(モリ)と申します!
現在通塾いただいている
塾生のみなさん、保護者の方々
これから通塾を考えておられるみなさま
あらためましてよろしくお願いいたします
私には
受験生のみなさんを
志望校に受からせたい
という強い信念と情熱があります。
それは私自身の大学受験の失敗から
同じような体験をしてほしくない。
そんな気持ちから生まれました・・・
大学受験の思い出①
私の大学受験は失敗の連続でした
高校3年生の6月頃
なんとなく
「大学受験をするには予備校に行くしかない」
と周囲に流されるように
予備校に行きました。
学校の近くにあった大手集団塾を2つ
かけもちし、
A塾
数学・英語・化学
B塾
英語
を受講します
なぜその組み合わせにしたのか
今でもよくわかりません。
A塾では入学テストの結果から
授業料が半額に。
そんな状態だったからか
なんとなく塾に行って、なんとなく帰る
予備校は水道橋と秋葉原にあったので
東京ドームランドやラクーアで
遊んでから予備校にいき
はたまた
秋葉原のゲームセンターやカラオケで
遊んでから予備校にいく
みたいな日々を3か月くらい過ごし
模試をやっても偏差値がほぼ変わらない
得意な英語も偏差値60をいったりきたり
正直
「なんとなくどこかに受かるだろう」
と思っていました
というのも私の通っていた高校が
いわゆる「自称進学校」で
予習をしてこない生徒はおいてけぼり
先生は
難しい内容やってる私すごいでしょ
みたいな授業ばかりをして
生徒も生徒で
なんか難しいことやってる俺すごい
とかそんな高校生活だったので
案の定私はその一員となり
なんか難しいことをやってる私は
難しい大学に入れるに違いないと
勝手な想像を膨らませていました
そろそろ
志望校を決めないとなあ~
と、今考えると順番がおかしいのですが
戦える教科で
受けられる大学を探し始めます
裕福な家庭ではなかったので
予備校代もあるし
国立にいくしかない・・・
と"なんとなく"心をきめ
ギリギリ受かりそうな
筑波大学
を第一志望としました
大学受験の思い出②失敗その1
ここで私は1つ目の失敗をします
国立大学を受けるために
センター試験というものがあるらしい
※今の共通テスト
というのは知っていたのですが
社会科目を1科目選択しなくてはならない
ことに7月頃気付きます
今考えると相当やばいです
世界史、地理、現代社会、政治経済
どれも今からやっても間に合わない
そう思った私は12時間くらい寝て
考え抜いた結果
「倫理」を選択します
※当時のセンター試験は倫理が独立の
教科となっていました
また、倫理は
そもそも平均点が高く
問題も難問が出しにくいので
勉強すれば点が取りやすい
という
私にとっては最高の教科でした
しかしそんな安直な私が
すっかり忘れていたことがあります
それは
学校で倫理やってないわ...
安易です、安易すぎます
センター試験をなんとか乗り切るために
学校でやったこともない
倫理に手を出してしまう暴挙です
ようやく焦りだした私は
『山川の倫理用語集』
を思考停止のまま購入します
そしてとんでもないことを考えます
「学校でやってなくても
全ページ覚えたら
どうにかなるでしょ!」
そんな生半可な気持ちで倫理の
"自学自習"が始まります
大学受験の思い出③失敗その2
私の失敗2つ目は
"正しい勉強方法がわからなかったこと"です
用語集を買ったはいいものの
・いつまでに
・どの範囲を
・どんなレベルで
やればいいか
見当もつかない状態でした
とりあえず書いてあることを
一言一句覚えようと思い
ページを開くと
そこには
広辞苑と見間違う数の文字!
人生のゲシュタルト崩壊
受験勉強へのダタイスム運動を
一人で起こした革命前夜は
いまでも思い出せません
とにかく10ページ進むのに
1週間くらいかかっていた私ですが
途中であることに気づきます
倫理おもしろいわ...
のめりこんでからはペースがあがり
1日10時間くらい倫理の用語集を
覚える作業を続けます
学校の授業中も
おかまいなく続けます
実はこれが私の
3つ目の失敗につながるとは
当時は知る由もありませんでした
そんなペースで9月頃
用語集を2/3程度終わらせた私は
センター模試や予備校の模試で
偏差値62~65くらいになります
用語集でやっていない範囲に
取りこぼしがある程度で
もはや用語集の範囲はほぼ完璧。
好きこそものの上手なれ
というわけでグングン力を付けます
ここまでくると
倫理を受験科目にしてもいいんじゃないか
と思い始めます
一気に国立大学への道が見え始めたのです
大学受験の思い出④失敗その3
とにかく受験に対して安直だった私は
そんな浮かれ具合のまま日々を過ごしていき
厳しい現実を目の当たりにします
それは・・・
倫理が使える大学ほぼない
当たり前です、平均点が高いのですから
問題も難しくしようがありません
特に倫理は人の"思想"を主に扱うので
答えに悩むような問題を作りづらいのです
※人によって視点が異なる回答だと
別解とせざるを得ないため
それもプチ絶望ではあったのですが
それよりも9月に受けた模試で
英語、数学、化学が全く伸びていなかった
ことにまるで危機感を感じていませんでした
人間って怖いですね
成績が上がったらそれで頭がいっぱいです
最高!ハッピー!自分は間違っていなかった!
と言わんばかりのドヤ顔です
ステイした成績に見向きもせず
対策もせず、放置してしまいました
逆に
"浪人生とかが受けてるから
現在の偏差値のステイは
相対的に伸びている
ことと捉えていいらしい"
といった謎の理論を展開して
自分を正当化し始めます
一種の正常性バイアスですね
これが私の3つ目の失敗です
大学受験の思い出⑤最後の失敗
ここまで見ていただいた通り
高校生だった私は
・なんとなくを繰り返し
・自分なりの勝手な勉強をし
・問題・課題を先送りにする
受験に失敗する典型
のような受験生でした
A塾でセンター直前講座を
40時間くらい受け
ノートを5冊くらい書きつぶし
これで9割くらい取れたなと
謎の自信を持ってしまいます
"同じ授業を受けてる人がいる"
ことを全く忘れて
武田塾で100万回耳にする
"授業を受けているだけ"状態の
最強の受け身人間が完成します。
そうしてセンター試験に突入
倫理大好き人間は本番で98点
を取ります
しかし!
英語がなんと175/250点
当然、250点近くとれると
思っていたので自己採点などしていません
文系クラスに友達が多かった私は
あろうことか
1日目の文系科目が終わったあと
友達と22時までカラオケに行き
打ち上げを開催しました
もちろんその日は
帰って寝ました
翌日
数学I・Aが72点
数学Ⅱ・Bが58点
化学72点
物理66点
というなんとも微妙な
筑波大学はほぼ無理
という結果に終わりました
※正確に覚えていませんが
だいたいこんな点数でした
大学受験の思い出⑥逆転
センター試験が2つの意味で終わり
浪人して国立めざそう!
と考えていた私に
両親からの衝撃的な一言が下されます
「浪人するなら大学の費用は
自分で払いなさい」
浪人して国立大学へ行っても
費用を自分で払うなど
まず考えられなかった私は
(そもそも金額もわかっていなかった)
せっかく予備校に行ったのだから
現役で受かってやろう
と謎の意地を出し始めます
次の日、英語に定評のあった
B塾へ行き
「時間がないんです。英語を極めたいです」
と伝えたところ
"英単語を2202個覚えなさい"
と言われ
う、う~んと渋っていたところ
"まずはターゲット1900を覚えなさい"
"そのあと足りない部分をやりなさい"
と言われたので
持っていたターゲット1900を
青ペンでなんどもなんども書き
発音し、見て、聞いてをくりかえし
6週くらいした頃
ぼろぼろになりすぎて
文字がすり減ったり書き込みで
例文が見えなくなったりしたので
もう1冊新しいものを買います
それも5週くらいして
ほぼ「完璧」に覚えました。
カラの青ペンが30本をこえたので
ジップロックに入れてB塾に飾ってあります
※今はもうないと思います
正直あの青色の表紙
ワンちゃんの笑顔を見ると
当時の苦しみを思い出すので
あまり見たくないです
この頃学校は朝出席だけ取り
早退をして塾の自習室へ向かい
1番最初に来て1番最後に帰る
家に帰っても勉強をして
泥のように眠るような日々で
平日は16時間くらい
土日は18時間くらい勉強していました
今考えると狂気です
ご飯を食べるのも惜しかったので
受験期で15kg以上痩せました
大学受験の思い出⑦気づき
この時死に物狂いで勉強していた私が
気付いたことがありました
これって
倫理で同じことやったわ...
そうです、倫理を自学自習で
どんなアドバイスも受けず
無我夢中で覚えまくったあの日々です
正直効率は悪かったかもしれません
でも一番学力が定着していて
どんな時でもブレない学力が
倫理にはありました。倫理には。
私はここで、英語以外の教科も
同じように死に物狂いでやれば
どうにかなるのではないか
と思い、数学は『赤チャート』
化学は『重要問題集』
をページが擦り切れるまで
ひたすらやり抜きます
数学は最終的にチャートマニア
の称号が得られるくらい
問題番号〇番は?と聞かれ
暗唱できるようなレベルでした
今思えばだいぶおかしな人です
大学受験の思い出⑧合格
即身成仏できそうなくらい
集中して勉強した私ですが
体力的な限界がきており
入試初日の東洋大学で
試験中に寝るという暴挙にでます
結果はなんとか合格しましたが
当時の自分は強迫観念に駆られていたのか
寝たら全て忘れる気がする
というポリシーのまま入試が続きます
ギリギリの状態のまま入試を続け
意識が朦朧としながらも問題を解き
英語の長文でジョークを見つけて
試験中に笑ってしまい怒られるような
精神状態の中
中央大学・上智大学に合格できたときは
逆にもう勉強しなくていいのか?
という不安に襲われたことを
覚えています笑
無事に私は
上智大学理工学部情報理工学科に
進学しました。
研究室では音の研究をしていました
イギリスに留学に行ったり
コペンハーゲンで開催された学会に出席したり
英語喋る要員として駆り出されました
長くなるので割愛します
受験生の皆さんへ伝えたいこと
受験生のみなさん
私の失敗談、いかがでしたでしょうか
何が失敗か、わかりますでしょうか
まとめますと、私の失敗は
・大学受験を知らなかった
・目標がなかった
・学校の授業で満足していた
・予備校に行っているだけだった
・なんとかなると思っていた
・自分はやればできると思っていた
から始まり、
・勉強方法がわからなかった
・本気になるのが遅かった
ということです
何かひとつでも自分に当てはまっている
と思ったら、もしかしたら
私と同じ失敗をしてしまうかもしれません。
そんなみなさんに
同じ失敗をしてほしくない。
もっと効率の良い勉強を知ってほしい。
そして自分の力で
夢を叶えられる人になってほしい
そんな気持ちでお応えしたいと思います
受験を一人で戦うのは本当に大変です。
武田塾には「優秀な講師」
同じ志を持って「勉強に励む仲間」
そして「私」がいます
志望校合格まで全力でサポートします!
保護者の皆様へお伝えしたいこと
長々と私の大学受験について
お話させていただきましたが
私が最も伝えたいことは
"勉強は目的達成の手段である"
ということです
あくまでも「手段」であり
勉強をすることが「目的」ではありません。
インターネットでこんな言葉を見つけました
"お総菜コーナーで「春はあげもの」の
のぼりにクスッと笑えることが教養"
中々考えさせられるものでした
私の考える勉強とは
・日々を豊かにするもの
・人生に彩りを加えるもの
・自分のやりたいことを叶えるスキル
のようなものだと感じています
大学入学がゴールではありません。
大学に入ってからは今以上に
"自ら学ぶ姿勢"を試されます
また、社会に出た後はさらに顕著で
"自ら課題を見出し、解決する力"
が問われます
武田塾の勉強法を通じて
自ら問題を解決する力、
「自己解決力」
を身に付けてほしいと感じています
ご共感いただければ幸いです
さいごに
今回は私の自己紹介を兼ねて
・大学受験の失敗
・そこから学んだこと
・勉強に対する想い
を書かせていただきました
私の大学生活については
あと50000文字でも足りないので
割愛します
また、社会人生活についても
100000文字は必要なので
割愛します
・武田塾で受験に挑戦したい!
・逆転合格したい!
・森が面白いから会ってみたい!
などなど思っていただければ幸いです